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2019年1月26日土曜日

2019年イタリアの旅:ロンバルディーア州パヴィーア

パヴィーアは西洋史を勉強する者には、絶対見逃せない重要な街。古代ローマ帝国の首都で、キリスト教世界全体の首都ローマにはかなわないけど、その次の次くらい(?)に重要な街の一つで、特に初期中世には必須の街。

イタリア王の冠(今はモンツァにある。ゴロゴロ宝石!)

で、歴史の変遷がすごく重要なんだけど書くのは面倒だなーと思ったら、ウィキに記述があったからそれを見てください。「パヴィーア」で検索、もしくは以下。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%A2

読んでもらえばわかる通り、象に乗ってやって来たカルタゴの将軍ハンニバル、「哲学の慰め」の著者で高潔なボエティウス、キリスト教父で絶大な影響力のあったアフリカ出身の聖アウグスティヌス、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)史上最高の将軍ベルサリウス、騎士道物語の英雄シャルルマーニュ、英雄的な戦いと信仰で名高いランゴバルド王リュートプランド、ダンテが「神曲」に描き、ドイツの神聖ローマ皇帝赤髭バルバロッサが戴冠し、西洋史上初の下克上ロンバルディア同盟、ヴスコンティ家とスフォルツァ家の陰謀・・・とまるで中世西洋史を読んでるみたいな街なのだ!

Basilica di San Michele Maggiore, Pavia

私は街と聖堂についてちょっと書きます。この大天使ミカエルに捧げられた大聖堂(バジリカ)は元は7世紀初頭に建立されたんだけど、イスラム教徒に襲われたり、度重なる戦いで焼け落ちたり散々な目にあって、現在の写真は12世紀のファサード。ランゴバルド芸術(ロンバルディーアってランゴバルド人の地って意味)の最高傑作としてイタリア美術の本には必ず出てる聖堂です。ランゴバルド人はゲルマン人の大移動って教科書で習った人々の一派で、北方から南のパラダイスを夢見て襲って来た人たち。ギリシャやローマの完成された美しい芸術とは全く違った、平面的で幼児絵画みたいな、時にケルトを思わせる美術が印象的です。私は大好き💖

capitello

フランスロマネスクにも多少共通するところがある。この野蛮人たち(地中海の人々にはそう思われた)は戦士だったので、キリスト教化されたら戦いの守護聖人である大天使ミカエルが大好きになり、あちこちに作りまくりパヴィーアにも4つはあったのに、今は一つが残るのみ。パヴィーアでたった一箇所選べと言われたら、迷わずサン・ミケーレ・マッジョーレを選びます。ここで初めてのイタリア王や神聖ローマ皇帝バルバロッサも戴冠したのでした。(戴冠の王冠は最初の写真。宝石が今もすっかり残っている!王冠はイエスの磔刑の時の釘で繋がれているんだって!!釘を聖遺物にしている所もあるけどそれは無視。ちなみにパヴィーアじゃないけどナポレオンも二度目の戴冠をこの王冠でやった。イタリア王=ローマ皇帝=全世界の王っていう構図がヨーロッパには根強かった。)

San Teodoro, Pavia

一瞬同じじゃないかと思うほど似ているのが地元の聖人テオドーロ教会。一回バラ窓にしたのを元に戻した跡が痛々しい。流行に負けたんだね。1117年に建立。中は凄くて、初めて行った私は凄く感動したんだけど、当時はまだ修道会のことがよく分かっていなくて修道士を不愉快にさせたのを今でも覚えています。修道服が似ていたので別の修道会と間違えちゃったのだ。

Bernardino Lanzani 1522

この聖堂には見るべき作品がたくさんあって、中でも特異なのは二つのパヴィーアの都市景観俯瞰図。これは実に正確に描写されていて、ルネサンス頃がどんな姿だったか一目瞭然。

San Pietro Ciel d'Oro, Pavia

三つのランゴバルド聖堂の最後を飾るのは「金の天の聖ペテロ」聖堂。イスラム教徒に略奪されて今は違うけれど、昔は天井が金ぴかだった。

聖アウグスティヌスのお墓

このサン・ピエトロ・チェルドーロ聖堂にはボエティウス、アウグスティヌス、リュートプランドら、歴史上の大人物たちが埋葬されている。アウグスティヌスなんかサルデーニャに眠っていたのを、異教徒に汚されるのを恐れた王が必死に運んで来た。実は自分が一緒に眠りたかったのかもね。ダンテが「神曲」でここの話をしている。

Santa Maria del Carmine

北イタリア全域で見られる赤煉瓦作りに、ピナクル(尖った飾り)がついた典型的なロンバルディーア様式の聖堂は、中世初期に作られた上の三つの聖堂と違い1370年の建立で大した改変を被っていない。落ち着いたイタリアのゴシック様式がいい感じ。

navata, San Teodoro

この他にルネサンス建築の祖と言われるブラマンテの手によるカネパノーヴァの聖母聖堂や司教座聖堂も当然ある。今から行きたくてウズウズする。

palazzo Visconteo

聖堂の他にヴィスコンティ城もある。要塞とは名ばかりで巨大な御屋敷です。ミラーノのスフォルツァ城を思い出さずにはいられない。ここでミラノの当主の座を争った人々の暗躍があったのが「ロレンツォ・デ・メディチ暗殺」(マルチェッロ・シモネッタ著)に生々しく描かれています。ルネサンス君主たちが、いかに一年中命の危険にさらされていたか。暗号で書かれた手紙が証明しています。この本は暗号をある程度解読したということで、非常に話題になった本で欧米では出版後すぐテレビで取り上げられました。

Patinir

私が訪れた時は、例によって全く人が居なくて、近世の絵画あたりを見張ってるボランティアの人たちがめっちゃくちゃ暇そうにしていました。今は当時より世界中観光化が進んだから、お客さんはいるんでしょうか?だだっ広くて歩くのも大変だったけど、こういう時だけ根性が出て全部歩き倒しました。

Certosa di Pavia

最後に忘れてならないのは、街からは少し離れた場所にポツンと立っている(といっても今は観光バスが止まる)パヴィーアのカルトジオ会の大修道院があります。ミラノの君主の座に座ったスフォルツァ家のイル・モーロと彼の妻の石棺を守るため信じ難い豪華な修道院になりました。ミラノの司教座聖堂と同じ建築家たちが後に手がけたので、ミラノの聖堂が改善され、ずっと明るく華やかな聖堂となっています。ミラーノからここだけ訪れる観光客は沢山いて、カルトジオ会の修道士の後をついて見学します。そんな大人気の修道院聖堂ですが、ここに入りたかったイル・モーロ自身はフランスで囚われの身で死に、石棺は空のままです。

 Certosa di pavia

ミラーノから直行バスも出てるので行くかどうかは後で決めよう。

Crocifissione

大好きな街の一つパヴィーアに久しぶりで行こうと書いていたら、今ミラーノの友人から連絡が来ました。絶対歓待してくれます。楽しみに!


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