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2018年7月31日火曜日

2018年9月イタリアの旅7日目:聖人の町サン・ジョヴァンニ・ロトンド、カンポバッソ

9月17日

どの町も去り難いですがモンテサンタンジェロにも早くも別れを告げねばなりません。ここからモリーゼの首都カンポバッソへも簡単には行けないからです。バスで45分、サン・ジョヴァンニ・ロトンドへ着きます。現代の聖人で圧倒的な人気を誇る聖ピウス(イタリアでは専らパードレ・ピオ)が建立した病人(苦しむ者たち)のための施設で世界中に知られた、現代の巡礼地です。1968年9月23日に天国へ行かれた聖人の祝日が近いため、街は賑わっていることでしょう。町は「丸い洗礼堂」という名で、洗礼者ヨハネの円形の建物があったことに由来し、中世起源の町です。

パードレ・ピオをお参りする人々

パードレ・ピオをお参りするフランシスコ教皇

パードレ・ピオはフランチェスコ会士だったのでフランチェスコ修道士の一団もお参り

前日にホテルで調べ直しますが、バスの本数は限られるため、午前中にモンテサンタンジェロを出発します。10:10に出発すると55分にサン・ジョヴァンニ・ロトンドへ。1時間半ほどこの町で過ごしますが、鞄があるので昼食ぐらいでしょう。12:35にカンポバッソ行きへ乗ると14:40に着きます。

Campobasso centro storico

いよいよ前人未到(私が唯一残したイタリアで足を踏み入れていない州)のモリーゼにやって来ました。もちろん宿は歴史中央地区の伝統的なアパートです。珍しいほどオーナーの熱い書き込みが目立った、旅人をもてなす用意のある所みたい。もちろん評価は9点以上。モリーゼに関しては本当に情報が少なくて、車も手配が大変で、まだ詳細が決められません。写真の頂上のお城まで登りたいとは思いますが、みんな元気を保っているか?

Museo Castello di Pandone

モリーゼでは車を使って離れた場所へ移動し小さなロマネスク聖堂を尋ねます。時間など詳細を調べてからまたアップします。とにかく今回の旅も、いよいよ大詰め(大詰めが地味というのも渋い)、やっとモリーゼにたどり着きました。

2018年7月30日月曜日

2018年9月イタリアの旅6日目:シポント、マンフレドーニアそしてモンテサンタンジェロ(更新)

9月16日(日曜日)

海沿いの家のオーナーのお父さんが車で迎えに来てくれます💙 ジョヴィナッツォからモンテサンタンジェロへの移動は、今までのように楽ではありません。電車でフォッジャに着き、ローカル電車でマンフレドーニアまで行き、そこからバスというのが公共の乗り物で移動した場合ですが、安くつくけど4時間以上かかります。以前一人でモンテサンタンジェロへ来た時には、フォッジャに居たのでこの方法でした。でも今回は人数で割ることができるので車を予約します。8:43(10:41)ジョヴィナッツォ発の電車で9:57(12:00)ににフォッジャに着きます。フォッジャは思い出の詰まりまくった場所ですが、今回は乗り換えだけ。11:05(13:05)フォッジャ発の当然路ローカルでマンフレドニアに11:45(13:38)着。

この1時間にフォッジャ駅周辺でお昼か買って電車で食べる。超ローカルだから遠足気分です。マンフレドーニアに着いてからは交渉次第ですが、近くのシポントの二つの有名なロマネスク聖堂に寄り道しながら、モンテサンタンジェロまで車をチャーターします。

San Leonardo di Siponto

聖レオナルドは11〜12世紀に建造された、浮き彫りが名高い聖堂です。以前私がタクシーを呼んだら、結婚式の準備(白いリボンやブーケで飾り立てたタクシー)そのままで迎えに来てくれた思い出の場所でもあります。もう一つの聖母マリアは11世紀のビザンチンロマネスクが印象的な小さな聖堂です。

Santa maria di Siponto

二つともロマネスク愛好家の世界では有名な珠玉の聖堂ですが、本当に小さな聖堂でポツンと孤立しいるので、聖なる巡礼者でも無い限り車で行くしか道はありません。だからマンフレドーニアから寄り道して、モンテサンタンジェロに行くには、どのくらい時間と経費がかかるか交渉しようと思います。

Manfredonia

ちなみにマンフレドーニアの名の元になったマンフレディはイタリア・ノルマン王朝の末裔で騎士道精神そのままに派手に散った英雄です。フリードリッヒ二世の婚外子(大抵嫡子より有能なのはなぜか?)で、1266年のベネヴェントの戦いで、シャルル・ダンジューに敗北し、南イタリアの覇権をフランスが握る発端となりました。元はと言えば、南イタリアで強力になり過ぎたノルマン(ホーエンシュタウフェン朝)勢力を挫くための教皇クレメンス4世の政策でした。アンジュー(ダンジューとはアンジュー家の、という意味)家は、街の名をシポントゥム・ノヴェッルム(新シポント)と変えてマンフレーディの影を消そうとしましたが無理で、現在も街にはマンフレーディの像が立っています。も一つ因みに、シポントはトロイア戦争の英雄が起源となる超由緒正しい場所なのです。

日曜日はキリスト教の国では休みが当たり前です。聖書に書いてあります。ところが最も信仰熱き大天使の山は、一年中開けてくださいます。有難や。ということで大天使の山は中世初期から、大巡礼の町、ノルマン人たちが詣でた最強の巡礼地へ車で行かせていただきます。

Monte Sant'Angelo comuneの頁から

Palace Hotel San Michele

じゃ〜ん💚私たちが泊まる宿だよ〜ん。信仰どこ吹く風で、車で町一番の豪華なホテルへ。しかもスイート💛プライベートビーチ、室内プール、スパ、サウナ、エステは当然、映画やパーティ会場もある本格ホテル。レストランはガラス張りで海へ突き出しています。こういうところへ泊まるときには、入る時に良い格好をしていきましょう。絶対そうすべきっ!汚い格好は失礼だし、馬鹿にされるし、良いことはないのでちょっと頑張る。勿論レセプションには大天使ミカエルの有名な像が置いてあります。が、気もそぞろでお部屋へ。私たちの部屋にはテラスがついていて、眼下にはアドリア海が、周囲は緑に覆われすっかり良い気分になって、夜中まで素晴らしい空気を満喫できます。

Santuario di San Michele

とんでもないバカンス気分の宿を出ると、目の前に、中世初期から大巡礼地となった源である、大天使の洞窟への入り口があります。体を覆ってないと入れないので、腕胸足など出すぎてないかチェック!と言っても、最も注意が必要なのは私自身ですが・・。髪の毛も覆わないとならないので、スカーフを持っていくのをお勧めします。持ってない人には雨具みたいなものを貸してくれるので、酷い格好で洞窟へ降りることになります。洞内はいくつかの部屋に分かれています。下り途中にある、キリストの受難道具などを眺めながら洞窟へ。ここは世界で初めて天使が出現した場所。フランスのモン・サン・ミシェルもこれに続く、大天使の巡礼地の一つに過ぎません。洞内では真剣にお祈りしている人の邪魔にならないように気をつけましょう。私も、言行不一致などを懺悔しつつお祈りします。

Castello

要塞は19時までやっているそうなので入ります。プーリア中にホーエンシュタウフェン家の要塞がありますが、これもフリードリッヒ二世が建て、その後アラゴン家によって改築されたもので、宝物館などもあります。壁の厚さや、厳しさがいかにも中世のお城です。

Sant'Antonio Abate

ここは非常に小さな街(?)ですが大巡礼地だっただけあって、20も教会があります。と言っても一般人が訪問可能なのは、限られた場所で、ほとんどの人は先に書いた、大天使の洞窟しか行きません。が、私は聖堂巡りが何より好きなので、壊れかけの12世紀の修道院長アントニウス聖堂にも入ります。

Santa Maria Maggiore

そして個人的には一番再訪したかった、聖ペテロ、救世主聖堂の遺跡です。この周辺はいくつもの聖堂や霊廟などが、固まってくっついてしまっている場所で、完全な形で残ってるいものはないのですが、浮き彫りや穹窿などが素晴らしく、とても感動しました。楽しみです。写真の聖堂は最もよく形を留めた部分です。

それらを回ったら暗くなるまで、町中歩きましょう。


どこも細い坂道で、なんとなくおとぎ話の中に入ったような不思議な空間です。食事はホテルのテラスかレストランで取りましょう。この幸せを噛み締めて・・



2018年7月29日日曜日

2018年9月イタリアの旅、5日目:トラーニ、ジョヴィナッツォ、モルフェッタ(更新)

9月15日

決まってなかった宿がジョヴィナッツォに決まった。最近ヨーロッパの各安航空が発着するようになって急成長したんだけど、まだまだ良い宿は少ないです。いったいにダブルベッドが圧倒的だし。

Molfetta cattedrale

というわけで、実は14日の夜はジョヴィナッツォへ泊まる。

Giovinazzo mattina

ジョヴィナッツォです。一見して分かる通り、街の構造はそっくりです。司教座聖堂も11世紀末から12世紀の、プーリア・ノルマン・ロマネスクです。

Giovinazzo vecchio

バーリも、モルフェッタも、ジョヴィナッツォも皆、旧市街が海に突き出し、市壁に囲まれています。ここにはそれが一番よく残っています。国鉄の隣駅なのですが、モルフェッタの宿は旧市街の外で少し駅寄り、要するに移動には便利だけどパッとしない場所です。それにひきかえ、ジョヴィナッツォの宿は海が荒れたら飲み込まれそうなほど(ちなみに地中海やアドリア海は大変穏やかです)海が目の前の一軒家で、家主のパパが車でお出迎えしてくれる親切さ!モルフェッタに良い宿のキャンセルが出なければここかなーなんて思ってます。

窓の外にすぐ海が見える。壁も良い

ジョヴィナッツォに私たちは、2泊します。最初の日はトラーニへ出かけましょう。どっちにしろ駅まで10〜15分程度です。で列車で18分でトラーニです。

Trani

トラーニの大聖堂はロマネスク聖堂の中でも一二を誇る魅力的な聖堂と言われていますが、一つはその立地にあります。これほど海に突き出した聖堂はないでしょう。この街もまた、旧市街は海の先端にあり囲われていました。駅からは新市街を通過して、まっすぐこの聖堂を目指します。
Porta di Cattedrale Trani

私が今回トラーニにぜひ行きたいと思ったのは、ここ何年もかけて行われていた大修復が去年終わり、今は最高の状態で見られるからです。写真は、超ロマネスクの彫刻が目一杯施された入り口です。この旅には一人、高所恐怖症がいますが、何が何でも塔に登りましょう。ここまで来て登らないなんてありえません!絶景です。


トラーニではひたすらここが目的なので午前中いっぱい時間をかけゆっくり堪能し、道沿いにある聖堂など覗きながら(といっても大して無い)駅に向かいます。

トラーニからモルフェッタへ移動します。13分。昼の時間帯も1時間に3本くらいあるから、トラーニも街も結構見られます。

恐ろしいことになっています!モルフェッタの和食屋さん!

絶対これは無いなっ!プーリアはイタリア1食材の宝庫なんだから、伝統食に決まっています。モルフェッタ伝統菓子は素朴で見るからに美味しそうな焼き菓子がいっぱい!見たかったらMolfetta Passatoで検索して見て!

美味そーだよーっ!だから太るんだ。分かってるけどジョヴィナッツォの海の幸盛り合わせ。ピッツァも海っぽいのが沢山あるよ。海って言えば凄いの見つけちゃった。

モルフェッタのお店で出してるんだってさ。タコと何かなー??謎にグロテスク。

ランチの後はモルフェッタの司教座聖堂へ。実は進級二つの司教座があります。

Cattedrale Vecchio

後は空いてる聖堂(下の写真はモルフェッタで一番古い聖ベルナルディーノ)に入ったり、お買い物したりして街をぶらつきましょう。買い物はリゾート地が好きなんです。私は派手好きで、ボヤけてたり暗いのが嫌いだから、太陽ピッカーってとこで売ってるような物につい心が躍ります。阿呆らしいほど巨大なネックレスとか、よく製品化したなっ!みたいな楽しい意味不明の商品とかね💖

San Bernardino 1162

モルフェッタのやる気満々のケーキ屋さんのサイト



とにかく有名なモルフェッタの夕日を拝みましょう。夕焼け自体が綺麗だけれど、モルフェッタの場合、特に夕焼けが似合うと言うので写真が沢山あります。私の持っているモルフェッタの大聖堂の解説書の表紙も夕焼け時です。でもこの光景を楽しむには大聖堂から離れなくてはなりませんから、船に乗せてくれるか交渉してみようと思います。さてどうなることやら。虹まで着いたら凄過ぎる!

Molfetta Imbrunire

モルフェッタを夕焼けまで堪能したらジョヴィナッツォへ。4分!

               Cattedrale di Giovinazzo

ジョヴィナッツォへ着いた頃には聖堂は閉まっています。行ったことがないので良く分かりませんが、かわいそうに周囲にスペースが無いようです。遠目にはモルフェッタと似ていますが、こちらの方が細部の装飾などもあり、ロマネスク〜ゴシック期の聖堂にありそうな感じです。地下聖堂もあります。


私たちが2晩泊まる宿はこの道沿い。プーリアは町の構造や気候は本当に最高!


2018年7月28日土曜日

2018年9月イタリアの旅、4日目:ビトント、ルーヴォ・ディ・プーリャ(更新)

9月14日

おはよービトント!最高の気分で起きる予定!誰の目も気にせず、部屋やテラスを自由に歩き回り準備。ホテルでは決して味わえない自由さ。朝食はイタリアの定番パスタ(甘いパンの事)とカフェが用意されています。テラスで食べようか。そうそうベッドには差があるので、みんなでくじ引きします。一番良いのに当たった人は次のくじは引かないで順番にね。

ビトント・チェントラーレ、ルーヴォ・ディ・プーリャ間は20〜30分に一本の割で列車があり、8時半を目標に出発。バスもあるし、時間はあくまで一応って事。17〜18分で到着。

Museo Archeologico Nazionale Jetta

驚くことにトリップアドヴァイザーで10点満点の博物館です。
http://www.prolocoruvodipuglia.it/museo.html

古代ギリシャの壺を中心としたコレクションで特に名高く、どんな案内を見てもこれを絶対外してはいけないと書かれています。

中世の兜などもあります

近くの聖ドメニコ聖堂を訪問し、ロマネスク愛好家の喫水の的、司教座聖堂へ。

Cattedrale di Ruvo di Puglia 12-13世紀

プーリア独特の、白く質素で、要所にロマネスクらしい浮き彫りを施した力強い形態です。地下も発掘され、印象深いバルダッキーノ(身廊の祭壇を覆う天蓋のある建造物でロマネスクの特徴)も完全な姿をとどめています。

Chiesa di Purgatorio

次に外見は酷い煉獄聖堂へ。煉獄とは地獄の手前にある空間で、中世世紀からルネサンスにかけて練り上げられた思想です。この聖堂は17世紀のものですが、実は古代ローマ時代の建造物の上にあり、古代ローマの施設を San Cleto 聖堂へ改変し、その上に現在の聖堂があるという、イタリアならではの構造です。


ビトントへ戻ります。お昼ご飯は時間とレストランの様子次第で、ルーヴォかビトントか決めましょう。一応レストランのイタリアでの人気状況など質問しておきますが、ビトントの宿は旧市街です。お惣菜を買って宿で食べるのがベストかもしれません。圧倒的に気も体も休まるので。でもそれには12時までに帰らないと行けません。ま、焦らず当日決めましょう。

Palazzo Sylos

私が初めてビトントへ行った時、印象的だった建築物の一つ。15世紀のフィレンツェ以外の土地の様子が伝わります。写真はシロス館のロッジャから広場を眺めたところ。細い円柱のロッジャは優雅で、中世を脱したお金持ちたちは、古代ローマ貴族気分でここから民衆を眺めたのでしょう。

Cattedrale S.Maria Assunta

愛しのビトント司教座聖堂です。広場も、名ばかりではなく広々とし、石の色が太陽に映えています。聖堂の横には長年研究対象のルッカのヴォルトサントの門もあります。やたらめったらゴージャスな巨大聖堂より、こういった聖堂が一番好きです。神聖さと職人や民衆の熱意を感じます。もちろん、人里離れたところにポツンとある、小さな可愛い聖堂も愛しいですが、そういうところでは美術的感動は得られません。ロマネスクの大聖堂には当時最高の手仕事を誇った人々の跡が残っていて、それが素晴らしいのです。


ambone di Nicolaus

アンボーネとは説教壇のことです。説教壇は中世美術が凝縮した場所で、経済的にも技術的にも最大限の努力が払われています。ここでは1229年の記録が残るニコラウス親方の色大理石象嵌と、浮き彫りが堪能できます。ここからは見えませんが、この壇へ登る階段脇の彫刻も有名です。下はビトント大聖堂の写真がたくさん載ったサイトです。中世美術好きなら、読めなくても素晴らしさが十分伝わると思うのでぜひ見てください。


Lunetta di Cattedrale

ビトント大聖堂の彫刻はフランスロマネスクとの繋がりを想像せずにはおれません。特にフランスでは西正面のルネッタ(半円形の部分)に「最後の審判」図を彫るのが流行しました。ここでは最後の審判ではなく、その後の「冥府降下」が表現されます。審判後、復活したイエスがアダムとイブ始め、死した全人類(救われる人々)を冥府から救い出す場面です。ビザンチンのモザイクなどにも大画面が存在する、私の大好きな場面です。ただこれはオリジナルで、このまま行けば風化して失くなってしまうのではないかと心配になります。


内部床モザイクのグリフォンはビトントのシンボルとなっています。

宿のすぐ側に司教座聖堂博物館があります。当然訪問。その他に、非常に印象に残った煉獄聖堂も近くだし、とにかく時間と元気の許す限り、街を歩き回ります。

煉獄聖堂の入り口を守る骸骨の一体。Chiesa del Purgatorio

Ponte Tifilis

橋の向こうに見える Santa Mari del Popolo(Santa Teresa) 聖堂は、外からは想像もつかない頑張った内側。

San Domenico

これも外からは想像のつかないすごい内側のストゥッコ。南部バロックの代表的な技法。

聖堂では無料コンサート(当然イエスに想いを馳せる内容)も催されているので、当日調べます。コンサートは大抵夕方以降です。この聖ドメニコには行きたいです。近いしね。


旧市街の門と塔を通過しビトントにお別れを告げなければなりません。ジョヴィナッツォへ向かいます。バスで20分で数百円で行けます。宿の近くに停留所があって、海沿いの立地最高の宿へ😎




2018年7月26日木曜日

2018年9月イタリアの旅:3日目:バーリ、ビトント

9月13日

バーリはプーリア州の真ん中の州都(北がフォッジャで南がレッチェ)。大きな建造物もある都会です。お洒落な高級品店街もある。

イタリアではリバティと呼ばれるアール・ヌーヴォー様式の素晴らしいPalazzo Mincuzzi

怖い貧しい汚い南イタリアのイメージと全く違う。こんな通りをチラチラ覗きながら、海の方、旧市街へ向かいます。新市街と旧市街は大通りで完全に分かれていて、紅色の派手な劇場が目印。

Teatro Petruzzelli

私たちが泊まる日には、オペラの神様ジュセッペ・ヴェルディのリゴレットが上演されます。ちょっと見たいかなーっと内心思っている私。スカーラ(ミラノ)やサン・カルロ(ナポリ)などでは観たけど、結構演出が現代的で派手さに欠けた・・・・。ここはバーリの中でもオペラとバレー専門の劇場で、他に魚邸というところでペルゴレージ(演劇好きなら知ってるかも)の舞台があります。当然コンサートホールもあるよ。

いきなり道がまがりくねり細くなって中世の町構造に変化します。

通りにロマネスク聖堂がお尻を向けています。中は視聴覚室になってるけど、元は9世紀のアマルフィの商人たちの聖堂だったので、その後が今も残っています。サイトで確認。

進むと最近大改装された司教座聖堂博物館があります。入ります!中国の副葬品の展覧会なんかもやったりしてます。

素晴らしいゴシックの聖遺物容器


いよいよ、本命のサン・ニーコラ(聖ニコラウス)聖堂へ。と行きたいけれど、そこは完全に囲まれた中庭を通過しなくてはなりません。壁の中はいきなり違った空間で、写真の左側にひっそりと建っているのが聖グレゴーリオ。お参りします。右にはお土産と司教座博物館。

San Gregorio

ひっそりと、正面が壁に突っ込まれてしまいながらも、中世から生き残った聖堂です。

San Nicola

白くシンプルな力強い、まさにロマネスク聖堂です。イタリア中の聖堂巡りを初めてたけれど、もちろん今ほど知識も無かった当時、ある意味で一番感動した聖堂です。

当然広間様式ではなく、いわゆるバジリカ様式でもなく、もちろんビザンチンでもない。ローマやフィレンツェ他有名な街の聖堂とは違った構造です。どこか似ているところを無理やり思い出せば、パドヴァをなぜか思い出しました。巨大なアーチが極めて印象的。


美しいロマネスクで最愛の空間。奥はクリプタ(地下聖堂)に。降りてゆくのは気がひけるほど、本気の信徒たちの祈りが今も捧げられる聖ニコラが眠っています。何世紀も後にサンタクロースとして有名になるお方です。

多分お腹が空いているのでいい感じのバールで一休み。簡単なランチとします。Antico Caffe del Carmine が私のお気に入りです。お昼を食べながらその後の話し合いをします。

例えば、フェデリコ二世で有名なシュヴァーベン(イタリア語ではスヴェーヴォという)のお城へ行くのもまともな選択です。中は博物館ですが、外から見るだけでも中世初期のお城というものがどういうものか想像できます。以前来た時は、初めてだったので気合いを入れて周囲も、中も全部歩き倒しましたが、今やったらめっちゃ疲れると思います。

Castel Svevo

聖スコラスティカ聖堂だった考古学博物館方面へ向かうかどうかは当日話し合いで。博物館に入らなくても、街の中を歩いてるだけで古代や中世の遺跡に遭遇します。南イタリアではよくあることです。

Santa Maria di Buonconsiglio

洗濯物にまみれて遺跡が只見。宿の方へ戻りながら、ドッペルゲンガー博物館、ルネサンス期から近世へかけての博物館もありますが、素敵なお店に入ったりしながら宿へ帰り、ビトントへ向かいます。電車で20分。バスで25分弱。バスの方が歴史中心地に近いので、優先します。夕食はビトントで。

私たちの貸切アパートです。中庭もあるし、予約した時は、かつて見た事のない満点評価のアパートで、すごく楽しみです💕女子トークも盛り上がりそうです!