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2018年4月15日日曜日

プーリア:オストゥーニ;白い迷宮の街


オストゥーニは、プーリアの栄光の港ブリンディシからアルベロベッロ方面へ少し入った内陸にあり、私は行ったことがありません。しかし観光的にはプーリア州で結構上位に来る有名な街です。ガイドブックやネットにも「プーリア」でいろいろ調べていると、よくオストゥーニの写真が出てきます。英語圏のツアーなど盛んなようです。


なぜ私が行ったことが無いかといえば簡単で、美術的には後回しになってしまうからです。要するに際立ったロマネスクのモザイクや浮き彫りも無いし、ノルマン王朝のお城もないし、美術館もないし・・・という具合。でもイタリアの歴史ある街には、何にもないと言われながらも素晴らしい見るべきものがあるので、行けばいろいろ楽しめるのは分かっています。一般的には美術を見に行くわけではないので、風景や街の景観や自然の美しさなどが、普通の旅のポイントだから。そういう意味でここは街の眺望が人気を博しています。


「白い街」という特徴的な眺望は、南部イタリアの強烈な太陽光線対策の一つとして生まれたと言われています。壁に石灰を塗って、紫外線の経年劣化を緩慢にさせるのですが、土地で取れる石灰の白さが光を反射し、遠方からもキラキラ光るのが美しいのだとか。これは地中海のあちこちで見られる現象ですが、ここは街全体が小高い丘の上にあり、観る場所によっては、背景にアドリア海が覗き絵のようです。


いつものように鳥瞰で見てみます。あまり良い写真が無かったのですが、オストゥーニ市のサイトから借用しています。旧市街は二つの丘に別れて作られています。地図を見ると明確で、小さい方の塊がより古い地区です。市の観光情報も驚くほど少なく、街の規模が知れます。丘に張り付くように、渦を巻きながら小道が、白一色の街中を通り、大聖堂へ続きます。周囲の近代的な街は、対照的に碁盤の目状に整理された道となっています。

余談ですが、この一番古い地区の端っこに宿をとりました。すごく可愛い宿がたくさんあるのですが(街の規模に比較しという意味)、どれもダブルベッドで、シングルベッドが3つ以上入る宿を探すのが結構大変でした。いわゆるホテルは旧市街の外にあり、そっちは当然いろいろ選べますが、私はどうしても歴史中央地区に宿りたいのです。


司教座聖堂とは思えない、可愛い聖堂です。と行っても司教座があるということは昔はそれなりに大きな街だったのでしょう。この聖堂で美術的に最も重要なのは扉で、浮き彫りは聖母の生涯の物語です。宿からすぐなので、堪能できるでしょう。


こんな通りが特徴的で、街全体を支配しているようです。歴史的には次から次へと、支配者が変わりました。ロンゴバルドやビザンチン、レッチェやターラントの支配下になったり、そんな跡があるのでしょうか?特別見るべき美術もなく、街中の小道を歩き回る、オストゥーニになりそうです。住んでいた頃を思い出します。と言っても、私が住んでいた処にはどこも、博物館や見るべき聖堂がたくさんあったのですが。

日本人訪問者のサイトも幾つかありました。たくさん写真を載せているので検索してみてください。

2018年4月12日木曜日

プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光

「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」に行って来ました。

公式サイトです。
https://artexhibition.jp/prado2018/

ベラスケスは美術が好きな人なら誰でも知ってるビッグネームです。正直言って、私は初期イタリアバロック以降のバロック、特にオランダやスペインのバロックが、今一好きではありません。ルーベンスなんか西洋美術館へ行く度に、やっぱり好きじゃないな〜と思ってしまう。

今回行ったのは、スルバランの自画像(?)と言われている作品を見るためでした。スルバランは中学生の時に画集で非常に気に入り、それ以来本物はあまり見られていませんが、好きな画家です。張り詰めた空気の中に熱烈な信仰心が溢れているのに、時間が止まったような彼の絵は、描き方は自然主義的な部分もありますが、シュール(超現実的)です。私は、完全な美と善の支配する超越的な世界に子供の頃から惹かれているので、超現実的な空間を無視できません。スルバランの作品も数点来ているのが、見に行った理由でした。

でも期待以上に面白い展覧会で、有名画家の名前だけに頼ったうんざりする展覧会とは違って、質が高く十分鑑賞できる環境(異常に混んだりしていない。パンダにお客を取られたか?)で満足でした。

ルーベンスは、どうしてそんなに評価が高いのか私には理解しかねる(歴史的、政治的背景以外)のですが、ベラスケスは流石で、彼が一枚上なのが明確です。思わず今回の目玉になっている、「バルタサール・カルロス王子の騎馬肖像」のグッズを買ってしまいそうになりました。王子のかぶった帽子も買いそうでしたが、後があったので買い止まれました(やれやれ)。

4歳くらいの女の子がお父さん(にしては年配な気もした)に「あれ何?」としつこく聞いていました。磔刑について聞かれた時は「キリストだよ」と答えましたが、ティツィアーノのビーナスのことを聞かれると、最初は無視し、しつこく聞かれたので「絵だよ。絵!」と言う返事。太った素っ裸の横たわる女性の隠部を見つめる楽器演奏者、と言うとんでもない絵を説明することは難しかったようです。

私は一般の人と、美術に関しては特に、感覚が乖離しているので、周囲の人の反応を見るのも楽しみです。時々は見知らぬ人たちと話したり、ちょこっと説明したりします。

非常に印象的な作品が何点かあります。カタログを買いたかったけれど、いつものやたら偉そうな分厚くて重い装丁だったので、辞めました。あんなもの買ってたら家が潰れますから。もっと軽くて、手頃なカタログにしてほしいといつも思っています。

王妃の間へ続く階段に飾られていた、道化師らの作品群は、人間の残酷さや悲しさ、生きる事の難しさなど複雑な気持ちにさせますが、ある意味で最も感動的なもので、ぜひ注目してほしいです。


ベラスケス展は撮影できませんが常設は大抵撮影できるので、携帯でいい加減に撮ったルノアールです。ティツィアーノと近い、横たわるデブ女です。こう言うの見てると、勇気付けられますが・・・。どこが良いの????


2018年4月7日土曜日

プーリア:レッチェ; 究極のプーリア・バロック

私はレッチェに泊まったことがありませんから今年は絶対宿泊するつもりです。イタリア半島のふくらはぎに当たるプーリアは、細長くアドリア海に面していて、歴史的にも行政的にもだいたい三つの地域に分かれています。北からフォッジャ、バーリ、レッチェですが一言で言ってしまえば、非観光地で移民や農産物関連の仕事が多いフォッジャ、中世ノルマン王朝の名残を最も留めたバーリ、ド派手なバロック様式の聖堂が際立つレッチェかな。

Santa Croce

Piazza Sant'Oronzo

言わずと知れたことですが古代の遺跡は見事に残っています。街の守護聖人の名を持つ広場は、旧市街の中心にあり、その中心はアンフィテアトロ(古代ローマ劇場)跡です。このアンフィテアトロを基準に街が構成されているためか、歴史的に圧倒的な権力が存在したためか、北イタリアのコムーネ(自治都市)のような、市民的な規模や価値観とは違った、広い空間と派手さが目立ちます。

Piazza del Duomo

中世の痕跡や印象はあまりなく、バロック時代以降の建造物が、嫌が応にも目を引きます。司教座聖堂広場も大変広く、周囲に重要な宗教建造物が立ち並び、まるで舞台のような印象を与えます。

Santa Croce

最も有名なのはSanta Croce(聖十字架)聖堂で、レッチェと言えばこの聖堂のファサードが載るのが普通です。最初の写真がその一部です。執念さえ感じる装飾を全面に施した、バロックの楽しさも俗悪さも感じる聖堂ですが、ここまでやればやはり芸術の域だろうと、納得させられます。この聖堂は複合施設の一部で、通りいっぱいに白いバロックの館が延々と続くのですが、前に広場が無く、なかなか良い写真が撮れません。広角にするか見上げるかしかないのが残念です。

San Matteo

私にとって印象的だったのは写真の聖マタイ聖堂です。十字路の角にあるのでいきなり現れます。一般に南部イタリアのバロック様式はスペインのバロックと似て、平面的な構造の上に装飾を気の狂ったように加えてゆく、というものですが、この聖堂はローマのボッロミーニやベルニーニの作品のように、流動的な曲線が効果的で、狭い空間を生かしているところなど、バロック建築の代名詞のような San Carlo alle Quattro Fontane を思い出します。と言っても内部はプーリア・バロックが炸裂していて、ボッロミーニの革新的で幾何学的な美しさとは程遠いのですが、そんな祭壇も私は好きです。天才の芸術作品では無く、当時の民衆の好みが如実に伝わってきます。


これがその祭壇です。テラコッタやストゥッコ(漆喰細工)を多用した、天使(プットー)が所狭しと配され、見方によっては悪趣味とも言えますが、笑いを禁じえませんでした。これは良い意味です。楽しくしてくれたのですから。

Chiesa del Gesu`

これはイエスの聖堂というイエズス会の聖堂ですが、こちらはグッとお金もかかり、技術も向上していますが、趣味は一貫して、バロック特有の捻れ円柱に装飾を加えています。レッチェではあっちでもこっちでも、このネジネジしまくった聖堂に出会います。



柱頭は非常にシンプルな建築でも唯一意匠に凝る場所です。至る所デザイン化されているレッチェでは当然、柱頭は壮絶な凝り方です。

またショッピング好きの私にとって、レッチェは凄く魅力的です。ミラノ、ローマ、フィレンツェといった知られ過ぎた都市には、東京ほどじゃ無いけれど、お店が一杯あり過ぎて限られた時間では大変。どこでも買える有名ブランドには興味が無いので、独自のブランドやモールがあるレッチェには惹かれます。それに北部や山岳地帯は、基本的に暗く地味、それに対して南部や海岸地帯の町は明るくて派手なのも大好き。一歩間違えると大変なことになりそうなところもスリリングです💝👭


2018年4月5日木曜日

プーリア:ブリンディシ:東方世界への港

2018年秋の「イタリア美術と歴史の旅」はブリンディシの空港に降り立つので、ブリンディシについて。

Castel Svevo

ブリンディシという名前は「鹿の頭」という意味で、それは地形から来ています。南イタリアの多くの街は、起源が紀元前に遡るのは当たり前で、イタリアの世界に稀に見る特徴を物語っていますが、この街もその一つ。

世界史の花、古代ローマが世界帝国になった理由は様々ありますが、マイルストンや「全ての道はローマに通ず」という言葉が表しているように、街道を整備したことが一つの大きな理由です。その最南端がこのブリンディシでした。古代ローマ街道の中でも最も有名なアッピア街道とトライアヌス街道の終着地なのです。


このためここには様々な文化的背景を持った人々が特に頻繁に出入りしました。特に東方、ビザンチン、コンスタンティノープルや、19世紀にはボンベイ(インドの現在のムンバイ)との深いつながりがありました。

1927年からは大戦下で、アドリア海における最大の港となり、43年9月から44年2月までの数ヶ月は、政権の混乱期にイタリアの首都とさえなりました。そんな世界史を語れるような街なのですが、今は鄙びた小都市です。


当然、考古学博物館など見るべきものはありますが、何しろ日本に来たら大展覧会になるようなものが、南イタリアでは、ゴロゴロ山積みのように出てくるので、全て見ているわけにいきません。前回は一泊できなかったので、今回は到着した日の夜だけですが一泊し、午前中はこの街を見倒したいと思います💪

どんなガイドにも書いてあるのが、「古代ローマの円柱」で、それはかつて世界の花の港だった時代の場所に立っているというのですが、最近起源についていろいろ言われています。私は考古学は音痴なので、「来た。見た。勝った。」の古代ローマのようにはさっぱりいきませんでした。「来た(これは日本語と欧米語のgo=andare,とcome=venire,の使い方の違いで、行ったと同じ意味。)。見た。けど分からなかった。」普通の街並みにある階段にいきなりポツンと立っているその柱は、それほど価値があるものなんだ。ふ〜ん。どう感動すればいいんだろう???


一番気に入ったのは、例によって中世らしい聖堂です。エルサレムの聖ヨハネという名のSan Giovanni al Sepolcro は小さな円形の聖堂で、またまた普通の家に挟まって、縮こまっていますが、中にはフレスコも残り、ロマネスクとビザンチンの融合したイタリアならではの、ロマネスク好きにはたまらない聖堂です。



シンプルな力強い造形です。当時は壁には全体的にフレスコがあったのでしょう。部分的に残っています。やはり完全な形態である円には特別な力があります。


聖堂は街の人たちのこじんまりしたお庭みたいな場所にあります。木が北部と南部で全然違います。夏は何より太陽の光が違うのと、風が素晴らしいのを覚えています。


もう一つ、救世主の聖堂と言う名の Chiesa del Cristo が典型的なロマネスクですが、これはジェノヴァの聖堂を思い起こさせます。レッチェへ向かう、かつての門の入り口にあり巡礼聖堂だったのかもしれません。

cattedrale

この他に当然司教座聖堂があり、そこには博物館が併設されていて、私の記憶ではフェデリコ(フリードリッヒ)二世直筆の御触れなど見ました。ルネサンス期(だと思う)の投票箱だとか、印象的でした。


司教座に併設された、獅子図書館です。見てるといくらでも行きたくなります。イタリアの人たちはなんて恵まれてるんだろう。こんな素晴らしい環境で一年中勉強しているなんて、とついつい思ってしまいます。


これは最初の写真、ホーエンシュタウフェンのお城ですが、ここで行くべきかどうか。多分その時間は無いでしょう。何しろプーリアには12世紀ルネサンスの夢と仰がれる、フリードリッヒ二世始め、彼らの素晴らしい要塞がた〜くさんあって、どれか一つを選ぶしかありません。


これはそのうちの一つで、ブリンディシ郊外のオリアと言うところにある、美しい要塞風景です。

でもブリンディシは私なら残ってもいいけど、仲間のために、午前中で後にして、次の街プーリアの三代首都(フォッジャ、バーリ、レッチェ)の一つレッチェへ向かいます。


2018年4月4日水曜日

飛行機決定!個人で飛行機ネット予約する時の注意点

やっと飛行機が決定しました。みんな働いてるし、迷ってる人もいるから飛行機とるタイミングは難しいよね。


今回はかなりマイナーな地域ということで近くに空港がなくて、どういう風に回るかなども考えました。結局、時間的な問題でアリタリアを使うことにしました。かなり時間が短縮できるので。でも当然私の得意なアエロフロートと比較すればずっと高いです。時間をお金で買った感じですね。

で、航空券をネット予約するのって、ものすごくストレスかかるでしょ。「一字一句間違えたら乗れません」みたいな文句がどこにでもあるし、フライトを取ってる最中に金額が変わったり、せっかく終わったと思ったら、最後の最後に「今満席になりました。」みたいなこともあるし。

いつも思うんだけど、燃油サーチャージとか様々な費用を別に表記するの本当にやめてほしい。そう思いませんか?海外ではそんなの一般的ではないですよね。少しでも安く見せようっていう、卑しい根性です。でも結局最後にはずっと高くなって、話が違うじゃないのっていうことになる。しかも代理店によって、表記の仕方に違いがあって、比較するのも一苦労。目が真っ赤になります。

今までいろんな代理店を使ってるから、どこも完璧ってわけじゃないけど、今回最悪だったのは、空港の名前がめちゃくちゃでこれ本当に行きたい空港なの??????ってなって、それを調べるのに時間がかかり、土日を挟んだからその間にめっちゃ金額が上がったこと!アッタマくる!!!!!💢💣


イタリアのブリンディシに着きたかったんだけど、HISの航空券では、空港の名前がアパオラキャッスル、本当はPapola-Casale パポラ・カザーレです。ぜーんぜん違うじゃん!バカッ!カザーレを英語風にキャッスルなのはまだ理解できても、どう呼んでもpapolaをアパオラにはならない。逆さまに読み違えたのが誰なのか知らないけど、無責任もいいところだ。他の会社でちゃんと記してあるところもあった。乗り換えようかとも思ったけど、金額は違わないし、アカウントも持ってるから面倒で取ってしまいましたが。

こっちは一字一句間違えられないのに、そっちの情報はめちゃくちゃでいいのかっっ??

近年、飛行機のダブルブッキング問題が話題になったけど、企業に甘すぎだと絶対思う。日本の会社みたいに、機内での馬鹿丁寧な対応もいらないし、食事もいらない、ただの飲み物なんかもっといらない。その分安くしてほしいけど、何よりブッキングミスを無くしてほしい。去年エクスペディアで知り合いが、ブックしてるはずなのになってなかった。彼女は英語ができるから頑張って乗れたけど、気が弱くて喋れなければ、乗れない。こんなの間違ってる!プンプン

みんな泣き寝入りはやめて、悪いことは直すように言いましょう!飛行機も、政治も、生活のあらゆることがそう。少しでも良くしよう。これはモンスターなんとかっていうのとは全然違う次元。

でも飛行機が決まると、俄然具体的になるから、ワクワクするね💖






2018年4月2日月曜日

プーリア:タロスと煉獄、ルーヴォ・ディ・プーリア

タロスはギリシャ神話に出てくる、クレタ島を守る自動人形(もしくは怪物)です。匠の鍛治の神が青銅で作ったという。(ロボットの先駆けか?)伝説にはいくつも変形があるけど、とにかくタロスはクレタ島を日に3回走り回り、近づく船に石を投げまくって破壊し、もしそれでも近づいた者があれば、体を高熱にして抱きつく!(きゃー!!)という頼れる守衛。だけど、体に一本ある血管に神の血が流れていて、それを止める踵の釘が弱点。結局、妖術で眠らされているうちに釘を抜かれ死んでしまう。

そんなに頑張っているんだから、ロボットだって可哀想だよー!映画だったら泣いちゃう。とか言いながらルーヴォ・ディ・プーリアの考古学博物館にあるのは、素晴らしい壺絵だから、泣かないと思う。ギリシャ神話って踵とか踝が弱点な話が多いけど、足がいかに大切かってことかな。


煉獄っていうのは17世紀にできた煉獄聖堂のこと。

Purgatorio

謎に四角い建物だけど、中はロココ・バロック系の近世によくある白い教会。絵が面白いらしいけどよく分からなかった。興味深いのは、ロマネスク時代に作られたクリプタが地下にある。もともと聖クレートって別の聖人に捧げられていた上に、今の建物を作ったのだ。で、更にもともとは、この地下聖堂自体が古代ローマ帝国の貯水槽だったらしい。イタリアらしいとしか言いようがない。


でも私が一番観たいのは司教座聖堂です。この聖堂はプーリア・ロマネスクの代表的な聖堂の一つで、正面ファサードがとても印象的です。


この聖堂の素晴らしい写真がついたサイトです。観てください。


12〜13世紀に建てられた、プーリアらしい質素な白い石に、要所要所にロマネスクらしい彫刻を施しています。ここではバラ窓の配置が特に目を引きます。


ファサードのトップです。この聖堂が捧げられた聖人が座るアーチの上には、ほんの少し三角を削って、救世主イエスが復活しています。

地下にはかつての聖所の跡があり、見ることができます。


聖フランチェスコの映画はたくさんあるけれど、最新作を撮影しているところ。十字軍時代の服装をした人たちがいるのは、この聖堂です。


煉獄兄弟団の行列です。手前の黒装束の人が感じ出てる。


最近プーリアは街に芸術作品を展開する計画をしているようです。この網の人たちは司教座聖堂の中にもいます。


ルーヴォ・ディ・プーリアはモリーゼとプーリアの連結場所にあるのと、私が行ったことがない、南部の巡礼地なのでぜひ訪れたいです。