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2017年2月23日木曜日

ウルトラマイナーな名前のイタリア料理店

https://www.facebook.com/altopascio.927/?pnref=story

昨日ず〜っと前から気になっていたイタリア料理店へ行きました。アルトパッショって名前。なかなかのイタリア好きだってここへ行ったことはおろか、名前を聞いたことさえない人がほとんど、っていうような町(?)の名前です。例えばイタリアへ行ったら小平とかいう名前のレストランに出あったというような感じ。東京、京都でなくても大阪とかならわかるし、実際あったりするけど、渋谷でも新宿でもなくいきなり中井とかないでしょ、みたいな。想像通りシェフがこの近辺で働いていたそうです。すごくコアなお店でした。国立近辺のイタリア好きにはオススメです。

私はアルトパッショに一軒だけある宿(B&Bで、ホテルは存在しない)に一週間泊まり込み、近辺調査をしたことがありますが、それはここが中世の巡礼街道で愛するルッカの傘下にあった地域だから。




写真は町というか村に一軒だけあるに等しい聖堂を横から撮ったところ。
塔と写真にある横の入り口に中世の雰囲気が残っています。
なぜか糸杉が美しい。

2017年2月11日土曜日

ティツィアーノ展

おととい毎度の上野へ行ってきました。ティツィアーノ展の入場券はバレンタインチケットといって、一枚で二人入れる超お得な券だったので込み込みかと思ったら、最適な混み方(興行的には残念かも)で、ゆっくり見られました。

http://www.tobikan.jp/exhibition/h28_titian.html

美術史的にはティツィアーノは、レオナルド、ミケランジェロ、ラッファエッロの三大画家に次ぐ特別な画家扱いを受けているので、もっと有名だと思っていたら以外に有名でないのを実感しました。考えてみれば美術史の本を読む人って数える程しかいないのかもしれませんが、美術史まで行かなくても、西洋美術全集とかルネサンス画集とかそういったものを見ていれば、ティツィアーノがスーパースターなのは知ってるはず。でも違うんだな〜。世の中って短期記憶でできてる部分が大きいんですね。ちょっとしたテレビとか広告で動いてる。ほんと常々思うけど媒体の責任は大きく、悪も大きい。

やっと展覧会について。

          

展覧会自体は悪く無かった。デッサン、下書き、版画ばかりで占められてると(過去にはそういうフェルメール展があった)騙された感じがするけど、ほとんどが油彩の完成品でそれなりに綺麗な絵が多く、割とわかりやすい内容ではないかと思います。

ティツィアーノはどんな画題でも描ける職人で、特にこの展覧会でもメインにしているような美人画が得意だけど、長生きしたので本当はいろんな作風がある。こういう綺麗な絵は装飾としてはいいかもしれないけど全然感動的ではないのに対して、後年の宗教画題はやはり感じさせるものがあるし、気合を入れた肖像画などは実力を感じます。

ヴェネチィア絵画を話す時に、源として忘れてはならないヴィヴァリーニとベッリーニ工房の作品は、多大な影響を与えているだけあっていつも発見があります。

個人的には、最大級に愛しているロットとピオンボの作品がかろうじてあったことが一番嬉しかったこと。ま、ロットに関しては工房作で彼の絵ではないので相当劣っていたけれど、異常に孤高感の強いロットが工房を運営していたことや、確実に彼の影響が認められることに慰められました。一方ピオンボは、私は彼の作品を求めてあちこち歩いて回っているし、ローマでの大展覧会には何度も足を運び泣きたくなるほど重い画集を買ってきた愛する画家です。一点とはいえ最も見たかった作品が見られたのが今回の展覧会の最大のヒットでした。貧しい羊飼いが振り向いた表情を捉えた小さな絵ですが、偉い人たちの肖像画ばかり並んだ壁の端で圧倒的に輝いていたと思います。

イタリアやヴェネツィア好きな人、美術の好きな人是非行ってください



2017年2月9日木曜日

ラスコー展

http://lascaux2016.jp/

「ティツィアーノ展」を見るついでにできれば行って見たいと思っていた「ラスコー展」も行ってきました。

ティツィアーノの方はバレンタインペアチケットで1枚で二人入れるめっちゃお得なチケットだったので、すごく混んでるんじゃないかと恐れてたら全く空いていて、日本にしては最高の鑑賞環境でした。それにひきかえラスコーは、想像を絶する混みようで、水曜のお昼時という時間が嘘のようでした。

国立科学博物館は近所ならもっと行きたいけど、美術優先の私にはなかなか機会がありません。人生において10回行ってないと思います。10回もっ!という人がいるかもしれませんが展覧会は楽に1000回以上だから話になりません。ま、画廊とかイタリアの聖堂なども含めての話ですが。

で、ラスコー展は洞窟の雰囲気をできるだけ再現しようという意図はわかりますが、驚くほど真っ暗になる時間が長くて、かなりのお年寄りや小さな子やお身体の不自由な人もいる中、暗闇の満員電車状態で、危険ではないかとすぐに思ってしまいました。こんなことができるなんてさすが日本は安全だ。最終日が近いといってもすごい混雑だったので1600円の当日チケット分は全然取り返せず、見れるところだけ頑張って見てきましたが、それでも美術という観点でなかなか感動しました。

というのは本当にデッサン力、画力があるのです。私はアウトドア派ではないからただ自然の石とか落書きみたいのだったら(考古学的にいかに重要でも)、全く行く気が無かったのですが、「最初の芸術」というところに惹かれて行ったのでその点は納得がいきました。様式もいくつもあり、何人もの違う画家が競って描いたのではないかと想像したくなるものです。

今では絶滅した動物とか、空想の動物なんだろうかとかいうものもありましたが、ほとんどは非常にリアルで動きや空間把握の意識もあります。ポンペイの時もそうでしたが、実際の空間を再現するというのは、特に考古学的な要素の強い場合は効果的な展示です。

あとは絶滅した巨大鹿は骨の構造が現在の動物と違うのが面白く、かっこいいし、二万年前の人も超オシャレだったのも親しみを感じました。

           

「ラスコーって有名なのねー。ティツィアーノって有名じゃないんだ〜。」というちょっと悲しい発見もありましたが。ラスコーは今週の日曜まで、ティツィアーノは都美だけど空いてるのでぜひオススメです。



2017年2月7日火曜日

ユダヤ人とは?聖書とは?

題名:賢者たちの「聖書」伝説
著者:H.N.ビアリク他(編集)
編訳:ミルトス編集部
出版:ミルトス出版 2001年

思いの外面白かった。ユダヤ人とは何か?国民国家とは何か?民族意識とは何か?が強く問われている現在、宗教、歴史に無関係な人にも意味のある本ではないかと思った。

「聖書」というとついキリスト教を思い描いてしまうけれど、これはユダヤ人にとっての聖書、つまりキリスト教徒からみた「旧約」のこと。解説書ではなく、文体は平易で文字数も少なく明らかに一般読者を対象にした作りとなっているが、内容は専門的で他ではなかなか読めないもの。

紀元前から大勢によって伝えられ成文化された聖書は、紀元前後のユダヤ人にとっても理解が難しかったので、様々な賢者によって解釈がなされてきた。一致した見解のものもあれば多くの解釈があるものもあり、それはミドラッシュ、タルムードといった形で聖書の何十倍もの膨大な文献となって成文化された。

とか書いていると専門書で固そうと思うだろうけど、内容は時にお伽話のようであり、語呂合わせやギャグ(ふざけてるのかっ?)のような時さえあって面白い。もちろんそこから、ユダヤ人の置かれた状況や歴史に想いを馳せるべきだけれど、紀元2〜16世紀に至る人々の全体の考え方、特に賢者と言われた人々がいかに「文字」「言葉」を真剣に受け止めこだわってきたのかが伝わる。歴史研究をしている人、西洋史をする人には絶対役立つしそうでない人も楽しめると思う。そして現在の不穏な世界情勢を思う。

             

上下二冊。注釈も多く資料としても使える。安いし軽い。

2017年2月5日日曜日

受講生に生かしてもらってます。グラッツィエ!!!

私はエリートとは真逆の研究者で日雇い講師💩だから、
だからなんでも持ち出しで、研究書籍も旅も交通費まで自費という哀れな状況😂

時給で授業してなんとか生活してるから、授業が無かったら生きていけない😇

ので、ひたすら授業が開講されることが必要で、
ということは授業に参加してくださる人々が私の命綱です!
全く文字通り👫👫👫

そのために授業は全力でやるように心がけてる
実際できてるかはともかく気持ちだけは本当

首都大学東京のオープンユニヴァーシティには私が初めて講義しだした頃からの、もう十年以上連続で参加してくれてる人たち、辺鄙な場所でわずかな人数でも授業させてくれてるカルチャーセンターの人たちや、放送大学の面接授業を大学側にリクエストしてくださる受講者達、震災で教室を失った後も、マクドナルドなんかで個人授業続けてくれてるイタリア語の生徒達に、

授業中は怖いけど、本当は泣きたいほど感謝してる
Grazie mille a tutti voi


去2016年のイタリア美術の旅:ローマのマルタ騎士団(一般名)の扉鍵穴からサン・ピエトロを撮影する私。派手なカバンとカーディガンはイタリア製でも帽子は純日本製。