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2017年12月31日日曜日

モリーゼ:カンポバッソ

モリーゼ州は1970年に州になったイタリア一新しい州なので、首都カンポバッソは統合した内の一つに過ぎません。カンポバッソとは低い野原とでもいうような意味で、州の6割が山岳地帯なモリーゼにおいて、平野のある穏やかな場所です。ちなみにイタリア全土の山岳地域は35,2パーセントです。


私は大学卒業後数年間デザイナーをしていました。その時に、よくイメージ広告で使うための写真集を見ましたが、これはまさにそんな写真です。誰もが見て穏やかな気持ちになるような、主張しない美しい風景、カンポバッソです。ゴッホやモネが愛した南フランスの積み藁とはまとめ方が違います。


今、私の部屋の外も雪がちらついていますが、カンポバッソにも積もっているようです。古代からある街で、多少遺跡や伝説も残りますが、印象的なのはこの中世の要塞の麓に広がった街です。要塞は封建領主が街を睨みつける印です。領主の城のすぐ下には街で一番重要な聖堂が見えます。


海抜790メートルにあるモンフォルテ城は、2012年には「芸術のイタリア記念硬貨」の5ユーロに選ばれました。モンフォルテ公はナポリ男爵も兼ねていましたが、後にお芝居にでもなりそうな反乱や裏切りがあって失墜したのです。


城は「十字架の道行」の終着地です。十字架の道行きは、救世主イエスが磔刑にかかるまでに受けた受難を表現したものですが、カンポバッソでは写真にあるように、街の人々が、ペテロやマリアに扮して実演して行います。主イエスはどうやって人選するのでしょう?今度行ったら、ぜひ質問してみたいです。以外にイエス本人に会えるかもしれません!小さな街ですから。


2017年12月30日土曜日

プーリア:ロコロトンド〜ヴィッラ・フランカ

トゥルッロは独特の建築を指す言葉ですが、それはアルベロベッロのものだと思われています。確かにアルベロベッロにはトゥルッロが固まっていて普通複数形でトゥルッリと呼びます。世界遺産登録された、童話の中に入ってしまったような場所です。



でも実はあの建物はあの周辺には、あちこちに見られるものでローカル電車に乗っていると、窓からちらほら可愛い屋根が見えてきます。アルベロベッロは行って見たい場所に上がるほど、驚くべき可愛い場所です。が、年々観光化が異常事態に進んでいて、正直言って、私の感覚には合わなくなってしまいましたので、すぐ近くだけれど、ずっと自然で落ち着ける場所を紹介します。写真はアルベロベッロではなくロコロトンド(これも可愛い響きです)のトゥルッリです。ヴィッラ・フランカにもあります。これらの街の方はまだ知られていないし、街もなかなか可愛く、それはアルベロベッロとは多いに違います。あそこの街(歴史地区ではなく)は、全然可愛くないので、散歩したい気分にはとてもなれませんが、ロコロトンドは違います。


航空写真は街全体を知るのに良いので、必ず参考にします。ロコロトンドは丸い場所というような意味で、写真を見れば分かる通り、丸い市壁に覆われた土地だからです。19世紀以前には聖人の名をとった名で呼ばれたりしていました。市壁の形や聖人の名が表しているように、ここは中世真っ只中の千年頃にできた町です。大聖堂を中心に輪状に作られた小さな町は、白い壁が南らしく、思わず町中ふらふら散歩したくなるようなところです。


小さいけれど典型的なロマネスク聖堂やスペイン風の南部バロックの大きめの聖堂などもいくつもあり、車の通らない道々の窓は花で飾られ落ち着きます。この辺は封建領主の大農場地帯だったので、農作物には定評があり、特にワイン蔵を訪れることもできます。


トゥルッリの向こうに壁で囲まれた街が見えます。今年は世界中が寒いので、こんな雪で覆われているのかも。

フランカヴィッラともいう隣町は、バーリ、フォッジャと共に「イエスの昇天の国家祭り」でも有名です。なんのことじゃ?様々な産物や技術などの博覧会というのか、神の子の昇天と美人コンテストがなんの関係(昇天の日)があるのか分かりませんが、とにかく大展示会場と、豪華な別荘がたくさんあるところです。






サルデーニャ:神秘のヌラーゲ

ヌラーゲって名前だけでなんか怪しくないですか?

私がヌラーゲを知ったのは、サルデーニャへ行った後です。イタリアで詳しいガイドを購入したら、そこに図説入りで説明がありました。子供の頃から形や色、さらに不思議なモノに異常に惹かれる私は(美術史をやっていて幸せです)、ヌラーゲの頁で手が止まりました。なんじゃこりゃ〜?なんて不思議なものだろう!なんて魅力的な形なんだろう!

ヌラーゲは説明によると、島内に7000ほどあり、紀元前1800-500年(もっと幅を持たせる研究者もいる)頃に隆盛をむかえた文明の跡だそうです。古代ローマ帝国の支配が始まった頃には、まだ存在していたそうで、最も有名な紀元前9−8世紀のSantu Antineのヌラーゲはローマ皇帝コンスタンティヌスに捧げられました。ヌラーゲは本来要塞のようなものだったらしく、最も数も多く単純なものは塔だけですが、複雑になると塔を囲んだ集合体で、それが何か有機体のような謎の生き物のような印象を与えます。



不気味ー!


これは再現されたヌラーゲです。四角ではなく微妙な三角形をしています。

マントを羽織って、杖や剣を持った族長のブロンズ像も幾つも見つかっていて、私好みに原始的な力強さと、どこか笑ってしまう微笑ましさを備えたものがほとんどですが、中にはなかなかの造形感覚を示したものもあって、どんな時代にも芸術家がいたことを示してくれます。


いい感じです。ハイタッチしようとしているのか、皆の衆に話しかける合図か、祝福を施しているのか、大きな手を挙げています。頭には輪を被っているのか、中世の修道士を思わせます。姿勢は、個々の作品毎に多少違いますが、似ています。

さて、実際の旅の話に移りましょう。実は私は5回ほどサルデーニャへ入っているのですが、まだヌラーゲを訪ねていません。次はぜひ、中を見学もできる巨大ヌラーゲを見てみたいものです。結構あちこちにあるので、可能性は高いと思います。

サルデーニャにはヌラーゲの他に、ドルメン(眠るという意味で死者、お墓を意味する)の巨石文明もあり、これも広大な大地に屹立しています。どうやって建てたのか、昔の人は、重い物をものともしなかったのを痛感します。現代人は軽さの追求に躍起になっているというのに。


人がいないので大きさが判りにくいですが、石の下方に空いた穴は大きな門と思ってください。「巨人の墓」と言われるものの入り口です。日本の古墳も巨人の墓かと思いますが、あれは巨石を積んだわけではないので、こっちの方が大変かなーっと。






カンパーニア州にある「イタリアの小さな村」

http://visitaly.jp/recommend/borghi-in-campania

イタリア政府観光局のサイトです。
アマルフィの近隣の村を紹介しています。
この辺の写真は自分の写真がないので、イタリア公式サイトを見てください。

ま、正直言って一週間の旅でここまで行けるとは思えませんが(何しろカンパーニア州は見所満載なので、モリーゼとかならいくらでも行っちゃうんだけど)、あの辺の雰囲気は伝わります。アマルフィと似た地形で、急勾配に建っている家々が、真っ青な海と地中海ならではの日差しに映えて印象的です。

写真はナポリの司教座聖堂聖具室(カンパーニアの私の写真)



2017年12月29日金曜日

イタリアの旅のための新年会と冬季授業について

来年のイタリアの旅のためのパーティをしたいと書きました。年末か年始にと書いたのですが、来年の首都大学東京オープンユニバーシティ冬季講座が始まってからにしたいと思います。ということで1月後半です。なので、もうメールをくださった方には申し訳ないですが、1月後半で考えてください。よろしくお願いします。

それと首都大の冬季講座も開講が決定しています。内容は、冬季に限り、南大沢と飯田橋校の内容が似ています。全く同じでは無いですが、いつも南大沢は歴史重視で、現在レオ10世と宗教改革まで来たところですが、変わるのでご注意ください。

両校とも「イタリアの街」シリーズ最終回



https://www.ou.tmu.ac.jp/web/course/detail/1741I003/
飯田橋
フィレンツェ、ローマ、ジェノーヴァ(印刷ミスです。正しくはジェーノヴァ)、その他


https://www.ou.tmu.ac.jp/web/course/detail/1742I004/
南大沢
フィレンツェ、ペルージャ、パレルモと小さな珠玉の街

となっていますが、どちらもある程度集まった人次第で変更可能です。
南大沢に関しては、二日間で90×2時間授業の4コマで短い(ということは安くもある)ので、ぜひお近くの方でお時間のある方は、お越しください。初めての方も気軽だと思います。

サルデーニャ島あらまし

「イタリア:歴史と美術の旅2018」の候補地、最後に上がるのはサルデーニャ島です。


イタリア20州のうち特別自治区は5つあり、その内2つが島です。地中海最大の島シチーリア島、それに次ぐサルデーニャ島です。特別自治区というのは、長年独自の文化を保存して来た場所で、いわゆるローマ、フィレンツェを中心とする(と言ってもその二つはかなり違うけれど)イタリア文化とは、かなり違っているので、地域限定の言語教育があったりする、そういう場所です。都会化が進むと、いわゆる伝統文化は失われるのが一般的ですから、世界中どこでも似て来ます。

私が数十年前に初めてミラーノへ行った時、一ヶ月ロレートというミラーノのど真ん中のアパートに下宿しました。働く中年女性が空いた部屋を貸している所に、大学の友人と二人で一ヶ月泊まり、イタリア中あちこち旅して回りました。英語が通じるという話は全くの幻想に過ぎず、私の片言イタリア語がどれだけ役に立ったかわかりません。その時、一ヶ月、個人で勉強しただけのイタリア語の通じることに感動したのが、私のその後の人生を決めました。十代の時に初めてロンドンへ行った時には、書いたら正しい文章がいかに通じないかを痛感させられていたので、イタリア語の発音のし易さに驚いたのです。

初めてのミラーノ生活は勿論最高に楽しいものでしたが、ミラーノは東京とそんなに変わらないという印象も持ちました。ローマやフィレンツェの方が良かったな、と思ったものです。勿論、ミラーノは東京とは全然違うけれど、勉強不足の学生にはそう感じられました。当時シチーリアへは行きましたが、サルデーニャには行けず非常に残念でした。なぜなら、友人はシチーリアをそれほど気に入りませんでしたが、私はとても感動したので、サルデーニャも素晴らしいに違いないと確信していたのです。きっと生まれも育ちも東京の私にとって、シチーリアはミラーノよりずっと大きな差を感じさせたからです。その後、イタリアを仕事の中心に据えて、様々なイタリア関係の人々と話すうちに、サルデーニャは、人も文化もいよいよ独自だと考えられていることを知りました。確かに、私が出会ったイタリア人男性で、最も難しい人はサルデーニャ人でした。まだ30才にもなっていなかったのに複雑な人でした。

個人的な話が長くすみません。

サルデーニャ島は、エメラルド海岸という名が示す通り、素晴らしく美しい海と海岸で溢れたところです。場所によってはフラミンゴが群生していて普通に飛んでいたりします。東京ではスズメも居なくなってしまったのに・・。地図が示す通り5つの地区に分かれていて、最も小さな地区に首都カリアリがあります。交通の便は非常に悪く、そのため空港が4つもあります。

北西の地域はスペイン色が濃く、内陸に行くほど地元色が濃くなります。島全体に、ヌラーゲという謎の古代文明の遺跡があちこちに残り、その幾何学的な形態は大変幻想的です。不気味な仮面をつけて踊り狂う、伝統舞踊と音楽もそれぞれの地に残り、盛んに活動が行われて居ます。ダイビングで珊瑚を取ることもできるほど、山のように珊瑚が取れるので、珊瑚を使った様々なデザイン(古典的、伝統的、現代的、抽象的)の装飾品が特徴ある産業の一つです。歴史は異常に古く、古代ローマの跡もありますが、私にとっては中世のロマネスク様式の聖堂がたまりません。な〜んにもない平原にポツンと建つ聖堂は、主に島の中北部に幾つも点在し、ロマネスクといっても随分と異なった様式で作られています。

もしサルデーニャに行くなら島だけで一週間過ごしたいと思います。




2017年12月27日水曜日

バジリカータ州あらまし

「イタリア:歴史と美術の旅2018」の候補地に、またまたマイナーなバジリカータ州も入れてみました。舌の根も乾かないうちですが、バジリカータには一箇所だけかなり有名なマテーラという世界遺産登録された地域があります。街とは書きにくい場所ですが。


このイラスト地図を描いた人に、共有させてくれて感謝します。



バジリカータ州は、イタリア語を日常的に話す人の割合が、イタリア全州の平均値よりもかなり低く、多くの人はイタリア語と方言を併用するようだ。しかし全くイタリア語でない独自の言語が残る地域もある。イタリアにはそういう、特別区のような場所が幾つかある。例えばクールマイユールなどちょっと欧米語を知っていればすぐ分かるように、町の名自体が完全にフランス語だし、ボルツァーノなどはボーゼンと、イタリア語とドイツ語の両方の表記が当然のようになっている。しかしバジリカータの場合は、フランスやドイツのような大国と地繋がりで、どちらの文化圏が優勢か分からないような地域とは違う。純粋に数世紀に渡って作られた、様々な民族が入り乱れて作られた文化が残っているのだ。ということはそれだけ地域性が強く、観光地化されていないということでもある。

日本語版ウィキペディアに「ゆかりの人物」フランシス・コッポラ(彼の祖父がバジリカータ出身)などと紹介されるほど、日本人の知っている大物は無関係な地域だ。でもイタリア史をする者には、近代イタリアの初期の重要な首相や、マフィアや南部問題における、ある意味で英雄のような存在クロッコがいたり、中世をする者にとっては、何と言っても12世紀ルネサンスを開いたノルマン王朝の痕跡が残る場所でもある。文学や古典芸術を考える上でも、ウェルギリウスに並び評価された、紀元前の詩人ホラティウスや、古楽を知っている人にはジェズアルドもいる。激情的な音楽感覚を持っていた彼は、妻と彼女の愛人を殺したことでも有名だ。キリストの名の下、完全な平等が実現される、夢のような「太陽の都」を具現化すべく、占星術で示された時に革命を起こした、中世の修道士トンマーゾ・カンパネッラはカラーブリア州の出身だが、この地でユートピアを起こしたのだった。あっという間に、仲間の裏切りで逮捕され拷問の末投獄されてしまうが、スペイン支配から逃れ、自由に生きたいと願う民衆は彼に従ったのだった。カンパネッラの名を聞いたことがある人は、結構いるのではないか。なぜなら宮沢賢治が、「銀河鉄道の夜」の登場人物にその名を与えているからだ。賢治はトンマーゾに心酔していたに違いなく、彼自身も岩手にイーハトーブ(イワテのエスペラント語から)という理想郷を作ろうとした。私は「太陽の都」が大好きだ。どの子も平等に教育の機会が与えられ、自由に研究ができ、健康的な食事が出され、みんなで運営する都は、現在の日本の状態からも程遠い。人権など存在しなかった中世真っ只中に生きた、彼の夢見た地を訪れるのもいいだろう。行く前に是非読みたい本は「太陽の都」と反戦の芸術家カルロ・レーヴィの作品だろう。


面積の半分近くが山岳地帯と丘陵地で、平野は全体の10%に満たない。それに伴い丘に張り付いた町の景観がなかなか面白い。

メルフィのノルマン人要塞、メタポントのギリシャ神殿、世界遺産マテーラの洞窟住居群、ブラジルみたいな山上の巨大彫刻もあったりするし、ターラントは子供の頃から知っていて、是非行ってみたい場所だ。


モリーゼ州あらまし

Molise(モリーゼ)の名を聞いたこともない方が、イタリア好きでも当たり前か、というほど無名の州に行こうかと、考えている私は無謀ですが、それを理解してくれそうな旅の仲間たちが居るのではないかという期待から、一応「イタリア:歴史と美術の旅2018」の案に入れて見ました。

モリーゼは20州あるイタリアの全ての州の中で人口は二番目に少ないのですが、一番少ないValle d'Aosta(ヴァッレ・ダオスタ)州は、モンブランへの通り道だったり、古代ローマの合戦の時、ハンニバルの像の軍隊がアルプス越えするなど歴史的にも名高く、街は非常に観光地化が進み、有名です。なのでモリーゼは誰が見てもイタリア一知られていない州です。が、近年はそれを逆手にとって、汚されていない自然に生息する動物たちと、古代、中世、近世に建てられ、打ち捨てられたような城や聖堂の保存に努め、ヨーロッパの旅慣れた人々にとっての、新たな隠れた観光地として整備が始まっています。




ローマを首都とするラツィオ州やナポリを要するカンパーニア州に挟まれ、ちま〜っとして居るのがモリーゼです。ここも実は4つほどの地域に分かれていました。テルモリにはイタリアで最も有名なフィアットの大工場があり、食品加工業などもひしめいていますが、イゼルニアは私が最も訪ねたい聖堂が輝いているところです。どれも真剣なロマネスク好きでない限り、たどり着けないような場所にあります。カンポバッソは現在、首都でトレッキングや、山小屋でのんびりするドイツ系の人たちに愛される、絵本のような場所。人間イエスの聖史劇が行われます。

う〜ん、普通はイタリアへ行きたい人にまずオススメする場所でないのは確かです。観光客やおみやげ物屋が嫌いだけど、旅したい人にお勧め、と言っても絶対に言葉は必須です。


これはカンポバッソでかつて大修道院があったところに残った、ごくごく一部の聖堂。崩れたアーチの列がかつての修道院の大きさを物語っています。

個々の聖堂などは全州のあらましが終わったら書き始めます。


2017年12月25日月曜日

プーリア州あらまし

「イタリア歴史と美術の旅2018」秋に向けての旅をどこにするか話し合うため、旅先の紹介をアップして行きます。

Puglia(プッリャ、プーリア、プーリャ)州の首都はBari(バーリ)です。
が文化的に4つの地域に分けられます。北から
1)Foggia(フォッジャ)を中心としたガルガーノ地区。
2)Bari文化圏
3)Brindisi(ブリンディシ)とTaranto(ターラント)
4)Lecce(レッチェ)とサレント地区



イタリアのブーツの踵にあたる、アドリア海に面した、気候的には最高かと思える素晴らしい地域です。一世を風靡した映画「グラン・ブルー」の撮影も、一部プーリャの海で行われました。個人的にも強烈な思い出がいくつもありますが、もしプーリャに行くならこの州だけにしますし、それでも一週間では全く一部しか見られませんので、この4つの地域で1つか二つにします。

歴史に興味があれば、絶対に「ノルマン王国」について読んでから行くべき場所で、最後の花、フリードリッヒ二世も良いですが、個人的には初めてノルマンコンカー(結局彼等はイギリスを征服した)の初期の人物たちに因んだ、大天使ミカエルの洞窟やノルマンロマネスクの建造物が大好きです。時機がピッタリのサンタクロース(聖ニコラ)はバーリに眠っています。街としてはバーリとレッチェがかなりの規模で、古代ローマ遺跡から現代のファッション街まで、ひったくりも多いですが活気があります。フリードリッヒといえば、世界遺産登録されている建造物の中でも最も個性的な一つに違いない Castel del Monte(カステル・デル・モンテ=山の城)がフォッジャとバーリの間にあります。印象的なのは、海に突き出るような場所に屹立する大聖堂です。風景とロマネスクの石が響きあい、実に感動的です。内陸には、背は低いけれど、バロックとは違った中世の装飾で溢れた大聖堂もあります。

古代ローマ街道の終点で地中海へ抜ける世界の港ブリンディシも、その向こうにギリシャがあると想像すると壮大な数千年の歴史が浮かびますし、dolmenと言うヨーロッパに残る原始時代の巨石文明も、あちこちに散らばっています。

食という意味では、イタリアの食材の実に半分以上がプーリャで取られるというデータがあり、特にオリーブ、トマトなど輸出向けに、トスカーナの表示が貼られて売られたりすると、専門家から聞いたことがあります。ワインはほとんどが当地で飲まれる(寝かせない)ため、あまり輸出はされません。要するに食材のほとんどが大変新鮮だということです。長く居ると季節労働者(畑の作業)の姿が目につきます。

アドリア海側は日本人観光者が非常に少なく、一度などは日本を知らない人に出会い、説明に苦労しましたが、結局そのおじいさんは中国を想像するのがやっとでした。なんと最初は私を、南イタリアの他の街の人間と思ったくらいのローカルさです。「君は他所者(よそもの)だろう?」と得意げに言う。「分かるよ。話し方が違うから。」そーですか、すみません。この地域の方言は一言も知りません。「隣町(村)かな?それとももっと遠く?」と彼は言い出し、初めてイタリア人以外だとさえ思っていないのが理解できました。それ程地域の人としかコミュニケーションがなかったのでしょう。地球の裏側から来たと知ると、街の要人に紹介してくれ、発掘(ノルマン王朝のお墓を暴いていた)調査を説明付きで見せてもらえました。彼はまだ元気でしょうか。きっとモルフェッタ天国です。






2017年12月24日日曜日

カンパーニア州あらまし

「イタリア歴史と美術の旅2018」用に考えている州(モリーゼ、カンパーニア、バジリカータ、プーリャ、サルデーニャ島)中、圧倒的にカンパーニア州が、歴史的、文化遺産的に重要で、巨大です。


中世ヨーロッパで都市と言えるような場所は少なく、パリと人口だけは多かったロンドン以外は、全てイタリアにあります。フィレンツェ、ジェーノヴァ、ヴェネーツィア、ミラーノ、ナーポリは常に人口も多く、真の意味で都市であり続けましたが、ナーポリは圧倒的に巨大でした。古代から栄え、中世にはフランス王と神聖ローマ皇帝の争奪戦の的となったナポリは、近代には音楽の都として繁栄します。要するに常に大都会でした。そして大都会に付き物の問題も存在しました。それは今も変わりません。

「ナポリを見て死ね!」なのか「ナポリを見たら死ぬ」のかは受け取る人次第でしょう。

世界に誇れる堂々とした博物館、美術館、オペラハウス、劇場があり、あっと驚くような聖堂も幾つもあります。一度ナポリを好きになると、他には興味がなくなるほど強烈な個性が、街にはあります。私は、個人的には住みたい街ナンバーワンと思ったことは一度もありませんが、何度でも見たくなる、ゆっくりしたい場所は何か所もあります。考古学博物館は世界一ですが、私には、丘の上のファルネーゼ家の美術コレクションからなる、ブルボン王家の巨大な館 Capodimonte(カポ・ディ・モンテ=山の頭)美術館が最高です。カラヴァッジョは多作ですが、彼の質の良い作品があり、シモーネ・マルティーニの傑作があり、ルネサンス、バロック、ロマン派などの作品もすごいものが揃っています。マニエリスムの大人気画家パルミジャニーノの女性像などもあります。これは数年前に西洋美術館の目玉作品として来日しました。とにかくナポリにいれば一週間はあっという間に過ぎるでしょう。

そうそう、人生最高のピッツァもナポリでした。

カンパーニアにはかの有名な「青の洞窟」のカープリ、カンツォーネ「帰れソレントへ」の港ソレント、18世紀に建てられたヨーロッパ最大の王宮と中世の街を持つカゼルタ、一時は日本映画の舞台にもなったアマルフィ、個人的には、ロンゴバルドとギリシャの色濃いベネヴェント、などなどいくらでも見所があります。




来年に向けたイタリア会のお知らせ

年末か、年明けに国立(レストラン文流かアルトパッショ)でパーティをしたいと思います。誰でもではなくて、来年秋に「イタリア美術の旅」をする予定なので、興味のある人だけの集まりにします。勿論イタリア旅行絶対参加決定ではなくて、当然ですが、考えてみようという人も歓迎します。簡単に内容を示すので、参加してみようという方は、小パーティにご都合の好い日を書いてメールをください。romanici@gmail.com

内容は以下の通り(おおよそ)
⭐️  9月の第二週あたりの平日出発
⭐️  イタリアに一週間、全部で10日ほど
⭐️  持ち物は機内持ち込み可能のスーツケースなどに限る
⭐️  金額は、講師が共に行く一般のツアーと比較して信じ難い安さ
⭐️  その分、荷物など自力で運び、昼夕の食事は含まない
⭐️  目的は聖堂、博物館、街巡りであって、一般のツアーより美術鑑賞時間が長い
⭐️  移動時間をできるだけ減らし、景色、作品などをゆっくり堪能するため連泊
⭐️  普通のホテルはできるだけ使わず、個性的な歴史建造物に宿泊するため、一般のツアーのような便利さは追求できない(例:バスタブは無い)
⭐️  4月に航空券が発表されてすぐにチケットを取りたいので、それ以降の申し込みは金額が上がる可能性がある

だいたいいつもこんな感じです。
で今回集まって話し合いたいのは、行く場所です。
南部に行くことは一応決定していますが、それ以上は話し合いで決めます。
私が、プランを幾つか提案するので、それを元にどうするか行きたい人で決めて行きます。

⭐️  プーリィア州
⭐️  モリーゼ州
⭐️  バジリカータ州
⭐️  カンパーニア州
⭐️  サルデーニャ島


(写真はモリーゼのBagnoli del Trigno)

の中から2〜3の宿泊場所を決めます。移動は公共の手段を使い、日本人集団が移動するツアーとは違った、現地の生体験をします。バスも存在しない地域では車をチャーターします。初日本人、みたいな場所もいくつかありますし、ナポリのように大都市もありますがどうするかはみんな次第。超珍しい地域と有名な街を組み合わせます。

連絡待ってる!!


2017年12月23日土曜日

Buon Natale

ブォナターレ!
御聖誕をお祝いする言葉。

なんか日本語で書くと物凄く硬いけど、イタリア語では非常に気楽な感じというか、親しみやすい感じです。これは聖書を読んでもいつも感じることだけれど、イタリアにいる方が神を感じやすい。キリスト教徒が1パーセント未満の日本なんだから当たり前か。歴史も全く違うしね。それなのに、日本でも当然のようにクリスマスは有名で、売りまくろうとか、楽しもうとか、そういった気分で一杯です。


写真(クリックしてみてください。大きくなります。)は、ウディネの博物館で撮影しました。生まれたてというより、ごくごく乳を飲みまくる、非常に元気なイエスと、実に頑丈そうな完璧に白人のマリアが、ドイツ文化圏が近いのを感じさせます。何よりもルネサンス期以降、すっかり青と赤に決められてしまうマリアの衣装など無関係に、何もかも金ピカなのもいい感じです。でもよく見るとところどころに色が残り、塗り替えられながら大切にされたのが伝わります。

不穏な世の中だけれど、少しでも世の中に平和がありますように