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2018年1月7日日曜日

バジリカータ:古代神殿と中世の要塞

イタリア政府観光局が全然役に立ってくれなくて、だから役所はダメなんだと言いたくなります。資料無さ過ぎ。ネット見難く過ぎ😖


Craco

バジリカータもモリーゼに負けずに日本語資料が僅かしかありません。結局いつものようにイタリア語の資料で調べています。

バジリカータはマテーラがとても特徴があって魅力的なので、他はほとんど知られていませんが、南イタリアの海岸線はマグナグレキア(大ギリシャ)といい、古代ギリシャの植民都市だったので古代の遺物は豊富です。ギリシャ人が来るよりもっと前から人々が暮らしていたところです。


Metapontum

メタポントには古代遺跡が残っていて、当然博物館もあります。初めてイタリアへ行った時、コロッセーオを見ながら、生まれた時からこんなものが身近にあったら、考え方も変わるだろうな、と思ったのをはっきりと覚えています。ここで暮らす人もそうでしょう。こんなものを当たり前のように見て散歩する毎日は、東京の住宅地で暮らすのと全然違うと思わざるを得ない。イタリア留学時代、都会で暮らしたい、田舎は嫌だとペルージャにいた私はいつも思い、東京なら〜なのに、と思ったりしました。品物や情報量がまるで違うからです。今は当時とはネット環境がまるで違い、随分と情報も入手可能になったとはいえ、直に接するのと、ネットで知るのでは大きな差があります。


どこに住んでも完全に理想通りの生活なんてあり得ないし、万一できる人がいたとしても、極一部の人々で私には無関係だから、選ぶしかない。正直、イタリアで生活することもできたと思うけれど、当時は、イタリアで学んだことを生かし、日本で自分に何かできることがあるのではないかと大志を抱いて戻ってきました。私は後悔しない主義なので、ミジンコのようにちっちゃなことでも続けようと思っていますが、続けさせてくれる人のおかげだから、結局自分のためでもあります。とかなんとか、自分の話ばかりしましたが、古代遺跡を見ていると、自分とか、世界とか、大志とかそういった事を自然に考えてしまいます。上の写真、不思議な光景です。イオニア式の柱頭が、土台の上に、柱をすっ飛ばして乗せられています。でもこの変な展示の仕方のおかげで、実際に建っていたら、双眼鏡で見ないと見えないような、模様がはっきり見えます。


このドーリア式にいたっては頭の部分しかありませんが、大きさが手に取るようにわかるのが良いところです。建築に興味のある人や、世界史に興味のある人なら、作った人々の苦労が伝わり、彼らの気持ちを思って、雄大な気持ちになるでしょう。


劇場は古代文明を考える上で非常に重要なものです。だいたい、劇場なんて生きることに必要ないのに、古代都市に必ずあるということが、人間とは何か、文明とは何かを物語っています。写真の右側には、かなり広い遺跡空間が広がっています。私は古代には詳しくなく、通り一片の知識しかありません。だから中世のキリスト教文化を語る時のようには、話せませんが、そっちを話し出すと詳しすぎて止まらないので、風を感じながら古代遺跡に触れるのもたまにはいいかもしれません。


Craco

メタポントからすぐに、クラーコという中世にできた街(村?)がある。写真はそこにある14世紀のアラゴン家の要塞。どんだけ暗殺を恐れてたんだっていう、頑丈さが伝わってくる。びっくりするのは今は個人の所有で住んでるんだって!私も一度でいいからこんなとこに住んで見たいっ!かな?中世の城は、寒い、臭い、汚い、厳しいは当たり前だから、色々と改造して住んでるんだろうね。交渉したら見せてくれるかな。とか考えちゃう。この村には聖堂もあって、ヨーロッパの小さな中世の町って雰囲気をすごく持ってる。


いいでしょ?すごくないですか?クラーコの街の端っこです。ちなみに頭にあげた写真もクラーコです。遠方からかっこいい写真をお借りしました。



Maratea

このブラジルを真似したみたいな、解放者キリスト像はメタポントとは反対側のティレニア海に面した場所にあります。麓の小さな村がいい感じ。

旅について:バジリカータへは、私はマテーラしか行ったことがないし、マテーラも十分に見たって気はしてないから、いつか再訪したいと思ってました。もしバジリカータへ行くなら、プーリアの街と組み合わせたらいいかな。とか考え中。


2018年1月6日土曜日

モリーゼ:最果ての野蛮人の聖堂

野蛮人=バルバリとは古代、ギリシャ人やローマ人が、自分たちよりも文明の遅れた北方の人たちを主に指して使った言葉です。私たち日本人には無関係だから、野蛮人と書くのは本当はおかしな話です。欧米主導当然主義からくる言葉ですから。でも、現在、世界は西欧文明なしには考えられない状態で、特に西洋美術や歴史を勉強する者にとって、バルバリという言葉を知らなければ、話になりません。どの本にも出てくるからね。

さて、イタリアという国は現在の意味で国家となったのは1860~70年にかけてで、非常に新しい国です。しかしイタリア半島の歴史は、ペルシャなどの人類の文明の発祥地ほど古くはないにしろ、ヨーロッパの中では最古を誇り、それが古代ローマやルネサンスを通じて近代につながっているという点で、最も重要だし、複雑で奥深く、芸術的には圧倒的に見るべき価値のあるものが多い魅力的な国です。

Santuario di Castelpetroso

私はイタリア中を旅して回っていますが、20州の中で唯一行っていないのがモリーゼ州です。確かにドナテッロやラッファエッロ、超絶技巧のバロックなどの大芸術を見に行く場所ではありません。写真はゴシック様式の聖堂ですが、ゴシックとは「ゴート人(野蛮人)風」という意味ですから、フィレンツェ・ルネサンスの文化人から見たら全然ダメな聖堂なのですが、現代人のごく普通の感覚からすると、とても美しくはないでしょうか?ゴシックは北方生まれですから、雪に溶け込んで絵のようです。私は、しょっちゅう「絵のようだ」という表現を使いますが、それは美しい風景というような意味です。モリーゼのこの聖堂は実は聖堂ではなくサントゥアーリオ(聖所かな)と言って、いわゆる普通の教会とは違ったものです。多くの場合、そこには御出現(聖母、イエス、聖人らが信徒に現れる)があります。

ゴシックは、野蛮人という言葉とは裏腹に、とても規則的な形を基本に作られています。それに対して、野蛮人と呼ばれたロンゴバルド人は、洗練を極めたギリシャ、ローマの彫刻のふんだんにあるイタリアへやって来て自分たちの聖堂を建てたら、こんなになっちゃいましたーっ!っていうような、最高の聖堂が下の写真です。何を言ってるのか、分からない人は、ま、授業に出てもらうと嬉しいのですが・・。


S.Maria della Strada

この最高のルネッタ(半円形の建築部分で、入り口の上部)は、私の憧れの聖堂のものです。これぞロンゴバルド芸術の力強さ、というか奔放さ、というか下手だとか拙いとか、そんなものは吹き飛ぶ、勢いのある美術です。行きにくい場所に、ポツンと建っていて、ファサード(建築物正面)やところどころに、天然としか言いようのない彫り物がしてあります。見たくてたまりません!イタリア語ですが写真が見られます。

     

ロンゴバルド美術を見ると、いつも思うのですが、もっと上手な人はいなかったのだろうか?と。ロンゴバルド美術にも、もちろん色々あって、チヴィダーレの女性像は、きちんと整っています。あれは後期の作品でゴシック色が感じられますが、なぜか私にはあまり魅力的ではありません。ルッカやベネヴェントには野生的でありながらも、芸術的な線と形態の作品が見受けられます。でもモリーゼの作品はどれも本気で素人臭く、当時の状況を想像したくなります。逆に素人臭い方が民衆の好みや考えは反映されやすいので面白い面もあります。大芸術家というものは常に時代を超越しているので。


もっといっぱいアップしたいのですが、みんなが好きとも限らないし、これでやめますね。髪の毛が額縁の柄になっています。作者は、きっとこの思いつきに満足だったに違いありません。首と体の連結が損なわれているし、足なんかチョコ〜んとしてしまっていますが、これは髪の毛額のアイディアを優先したからだと思います。先に挙げたルネッタといい、中世騎士道時代の好みが伺えて動物が活躍します。なぜって地中海系の古典芸術では、完全な人体を神の似姿と捉えるため、動物は無価値になり無視に近くなってしまうので、古典やルネサンスでは動物は楽しめませんが、ロンゴバルドでは思いっきり楽しめるのです。


San Giorgio Martire

これはまた別の聖堂です。殉教聖人に捧げられたロマネスク聖堂ですが、先に挙げた「路上の聖母マリア」聖堂よりさらに、過激に破天荒になっています。ここではもう動物が主役どころか、人体表現はありません!実はこのルネッタはこの聖堂の中ではまとまった方で、もっと構図も何もあったもんではない、さらに迫力の浮き彫りもあるのです。とても西洋美術とは思えぬ自由さです。きっと昔は他の地域にもあったのが、偉そうな正統派の美術に作り変えられてしまったのかもしれません。こういったヨーロッパ美術の横道から、すっかり道を外れた、愉しい聖堂がここモリーゼにはまだまだ残っています。


San Vincenzo al Volturno

これまた絵のような、大修道院跡。修道院の聖堂のみ極一部が残り、後は遺跡のようになっていて、そこからかつての繁栄ぶりを推し量ることができます。

旅について:もしモリーゼに行きたいと思ってくれる人がいれば、ぜひ行きたいと思います。数人まとまれば車をチャーターできるので。モリーゼの場合はナポリと組み合わせるとかした方がいいかなとも思います。大芸術と、その正反対の民衆美術、大都会の喧騒と自然と中世の小道の両方が比較できるから。



2018年1月5日金曜日

バジリカータ:マテーラ

バジリカータ州で圧倒的に有名なのは間違いなくマテーラです。

イタリアは世界文化遺産登録数世界一の国ですが、文化遺産というのは、自然遺産や歴史遺産に対して、主に芸術的な要素の強いもので建築物が中心です。例えば自然遺産は文字通り、天然の自然の風景が独特でよく保存されているというもので、日本は必死に富士山を登録しました。歴史遺産というものは、忘れてはならない歴史という意味を込め、必ずしも見て楽しいものではありません。ユダヤ人を閉じ込めたゲットーやナチのアウシュビッツ、日本の原爆ドームなどが典型的な例です。

マテーラの場合、イタリアでは珍しく、芸術、文化というより、自然と歴史的価値が認められたと言えます。

マテーラの洞窟住居と洞窟教会と日本では言うようですが、イタリアでは Sassi サッシと言います。


遠方から中心方向を撮影

サッシとは小粒の石の複数形で、ほとんど砂に近い意味です。バジリカータ州は交通の不便な場所で、現在はローカル電車で怪しい地下のマテーラ駅に着きます。一人とか夜だと絶対怖い感じです。焦って地上へ出ると、そこはだだっ広い田舎街です。サッシ地区へ歩いて行く途中には普通のイタリアの街並みがありますが、ある場所から突然サッシ地区に入ります。すると風景は一変し、写真のようなどこを見ても同じ色でできた絵のような風景が出現します。絵のようなと言っても色々な絵がありますが、例えば、リグーリア海岸沿いやブラーノ島で見るような、カラフルで明るい絵ではなく、殺伐とした、そこ知れぬ力を感じる、そんな風景です。


しかし、芸術的な写真とか抽象絵画を製作したくなるような、やはり独特の美しさです。サッシ地区は結構広く、普通のツアーではバスで近くに降り、一番有名な洞窟聖堂へ入って終わり、と言うのが一般的ですが、本当はせめて一泊し、町中をぐるぐる回ってみたいものです。洞窟聖堂はたくさんあり、年代や、フレスコの描き方、建築の仕方に時代や様式の差が随分とあります。


Madonna de Idris

一番有名な聖堂は写真のもので、岩の頂点に十字架が屹立している感じがいかにも感動的で、どうしても行きたくなります。中も結構フレスコが残っていて時間がなければこれ一つでも仕方ないでしょう。でも私の「マテーラ石像聖堂」と言う本には何十もの聖堂が紹介されていて、区域別に数日滞在しなければ見られない印象を受けます。


Peccato Originale

8〜10世紀に作られた「原罪」聖堂のフレスコです。色々な様式がある中で、私には一番印象的で、ギリシャからイコノクラスムを逃げてきた修道士たちが残した、平面的で装飾的、抽象的な伝統を感じさせます。自然を無視した可愛いお花、どうなってるのかわからない被り物や衣装など、ルネサンスやバロックには見られない、とても大らかなフレスコです。


San Pietro Barisano

この聖堂のように、入り口ファサードだけは結構普通の建造物のように作ってあるところも数箇所あります。中は洞窟を掘って作ったもので、地上に建てていく建築物とは全く違います。普段歩かない人には、マテーラは凹凸だらけですから息を切らしながら、歩くことになるかも知れません。この聖堂は、岩の頂点の十字架を目指して曲がりながら登っていく途中、いきなり現れるのですが、シンプルな中にもデザイン性のある南部バロック様式の純粋なファサードに、強い印象を受けました。

マテーラではどれを一つと数えたらいいか分かりませんが、穴は無数に穿たれているので、洞穴のような聖堂も100個どころではありません。どうやってたどり着いたか、理解しかねる場所にある洞窟にフレスコの跡があると、孤高の修道士の姿を浮かべます。どれほど貧しかったか、想像を絶するものがあるでしょう。それでも現在の貧しい人々より、彼らは幸せだったかも知れません。貧しさは天へ近づく印だったのだから。

旅の話:マテーラへ行くんなら絶対一泊します。すっかり綺麗になっていますが、洞窟住居ホテルがあるので、サッシのど真ん中で、数々の映画のシーンを思い浮かべながら(マテーラは何度も映画の舞台になっています。去年撮影された「ワンダーウーマン」でも使われたし、「パーソンズ・オブ・インタレスト」で有名になったジム・カヴィーゼルがイエスの最後の24時間を演じた「パッション」、リメイクがたくさんある「ベンハー」、日本では知られていませんが、「ニュー・シネマ・パラダイス」の監督も好んでここを使っているなど、イタリア映画には数本あります。)不思議な街の歴史(今回は書きませんでしたが、ここは近代に随分と変化があった街です)に思いを馳せながら、時には頭を空っぽにしたりもしてゆっくり村を巡るのです。美味しいレストランも知ってるしね。



2018年1月2日火曜日

サルデーニャ:ログドーロのロマネスク聖堂たち

Logudoro=ログドーロという発音もやはり特徴があり、サルデーニャならではの響きを感じさせます。

サルデーニャ島は、格安航空が一般化する以前は、イタリアの富裕層の避暑地として有名でした。エメラルド海岸以外にも、海の底のそこまで見える、本当に空を映した、これぞ青色の海が売り物だからです。

でも私にとっては、他では見られないロマネスク聖堂が目的です。ヌラーゲで示した通り島の歴史は非常に古いものですが、古代ローマに征服された後、島が活気を取り戻すには時間がかかりました。中世真っ只中の千年を超した頃、ヨーロッパ中の覚醒と共に島も繁栄します。地中海のハブ地として最適だったからです。地中海の覇権を争っていたピサとジェノヴァ人たちはこぞってやって来ました。商人、兵士、聖職者らが自らの属する文化を持ち込んだので、この頃サルデーニャに建てられたロマネスク聖堂を、何処の、何様式と断定するのは至難の技です。

兵士や商人の痕跡はほとんど分からなくなりましたが、聖職者たちの文化は聖堂という形で、今に伝わっています。それどころか、彼らが建立した建造物では現在もミサが挙げられ、結婚や洗礼式が祝われています。私は、西洋文化を知れば知るほど、宗教の持つ力を痛感させられます。戦争や商業活動も常に存在しますが、それは動物的な欲望と繋がったもの。それに対して宗教は、人間ならではの精神、思考、情緒といったものと繋がっています。宗教によって戦争になるという人がいますが、もっと深く考えれば、必ずその背景には政治や金銭的な問題が潜んでいるのです。上昇志向の異常に強い人で、何でもいいからのし上がりたい人が、宗教を利用することは頻繁にありますから、一見判断しにくく、騙されてしまうのです。

一千年ころのキリスト教聖堂、特に現在そこに集う人は、そういった思惑とは全く無関係です。そこでは癒しの力が働きます。サルデーニャのロマネスク聖堂は、どれも巨大で壮麗なローマや、バロックの聖堂とはかけ離れたものです。建っている場所自体が、非常に行きにくく、一般の旅行者にはまず回れない場所にあります。だからこそ、旅行者でごった返すフィレンツェやヴェネツィアの聖堂には無い、本来の姿を感じることができるのです。


Santissima Trinita` di Saccargia


私はこの聖堂へたどり着くのに、滅多に来ないバスに乗り、駅のない所で無理やり降ろしてもらい、帰りはそこで出会ったドイツ人夫婦の車で帰りました。私たちの他には誰もいませんでしたから、もし誰もいなかったらどうすんだという話ですが、私はそういう旅を散々やっているので平気です。特に最近は携帯があるので、以前のように気合はいらなくなりました。ところで今調べていたら、日本のツアーを見つけました。サルデーニャ周遊7日間で60万近くしました。もちろん私の旅とはホテルの格が違うのでしょうし、全てバスで移動します。でもそれ程なかなかいける場所ではないのが分かってもらえたでしょうか。私の旅は半額で、まともな解説付き(イヤホンは考え中)ですから、どんなに頑張っているか、分かって欲しいっ!つい、感情を吐露してしまいました😅

この夢のような白黒の縞模様の聖堂は、ピサの郊外にある聖堂と非常に似た工芸的な技術(上図)が使われています。フレスコの残る内部や回廊跡も感動的で、私の行った時には教会守りが飼っているのか、迷い猫が堂内でくつろいでいて絵のようでした。


Sant'Antico di Bisarcio

この聖堂の良さが分かる!という人はかなりの通です。10世紀半ばに造られた、ピサとフランスの色濃いロマネスク様式です。私は告白すると、サルデーニャの街はあちこち行っていますが、これらロマネスク聖堂は先に書いたサッカルジャしか訪れていません。皆離れた野原のど真ん中にポツンと建っているので、一人で行くには貧乏な私には辛いからです(涙)。確かにサルデーニャのロマネスク聖堂を尋ねる旅は、お金も時間も必要です。


La Nostra Signora di Tergu

モンテカッシーノからやって来た修道士たちの聖堂跡に建立されたこの聖堂は、独創的なファサードを持っています。石の色が他より濃い茶色で、それを生かした白の配色と繊細なバラ窓の透かし彫りや、捻れた細い柱など、非常にデザイン性が高く、美術好きには喫水の聖堂です。うわぁ〜見たいよーっ!!サッカルジャと異なり、ミサに使われる生きた聖堂でもありそこも魅力です。


La Nostra Signora di Castro

やー、またまたぽつねんとしています。この聖堂も地域の儀式で活躍する生きた聖堂です。豪華極まりないフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレが死んでから何年も経つというのに、こんなに小さな可愛い聖堂がいまだに現役です。ロンバルディア地方の特色が見られる12世紀の聖堂です。この写真ではわかりませんが、聖堂は湖沿いの丘の上にあり、映画のような美しさです。映画も色々ありますが、南欧の田舎のゆったりした風景が出てくる理想郷みたいな映画です。


San Pietro

島の、主に北部にはまだまだたくさんのロマネスク聖堂が散らばっていて、それが皆独自のスタイルを持ち、似ていない事が面白く、歴史を表しています。

もし「イタリア:歴史と美術の旅2018」でサルデーニャに行くことになれば、島だけに絞ります。今回は小さな聖堂の話を書きましたが、勿論街には大きな聖堂もあるし、博物館や、島独自の文化が至る所で見られるから。

2018年1月1日月曜日

カンパーニア:ナポリ、サンセヴェーロ聖堂博物館

年の初っ端に、私の知る限り、空前絶後の技量を表した彫刻を誇る場所から始めます。

ナポリは、スパッカナポリと言う街の心臓部に当たる古い地区にある小さな礼拝堂で、以前は入り口が分かり辛く、ナポリの喧騒にまぎれてうろうろする人が多かったのですが、最近この聖堂を博物館と位置付け、道まで整備しました。昔から知る者としてはちょっと残念です。隠れた物凄いものだったのに・・。

聖セヴェーロ聖堂には二つの傑出した見るべきものがあります。一つはバロック芸術の極限を示す、超絶技巧の極値を争ったような彫刻群、中でも、ヴェールを被せられた死せるキリストの横臥像は、美術史上、非常に名高い作品です。ジュゼッペ・サンマルティーノと名前からして南部らしい(聖マルタンの聖ヨセフ)彫刻家は、地元ナポリの芸術家です。他にももちろん作品はありますが、なんといってもこの作品が代表作で、どんな美術書にも載っています。(載っていない本はバロックや彫刻を扱っていないか、よほど薄いものでしょう)彼のキリストを取り囲むように、サングロ家の一族のお墓のために、様々な擬人像が、あっと驚く技巧で配置され、礼拝堂全体が舞台のようです。これぞバロックです。


イエスの身体、寝台、豪華な敷物など全てが白い大理石ですが、恐るべきはヴェールを通して透ける主イエスの御顔です。あまりの美しさに心を奪われます。


中心がサンマルティーノの名高い作品で、あまりに彼の作品が素晴らしいので周囲の作品は軽んじられていますが、一つ一つ見れば、どれも凄まじいのに気付きます。


呆れた凄さです。大理石のひき網です。網に気を取られて、天使の美しさや全体の空間、複雑な擬人像の意味など忘れてしまいます。

この空間は、ある意味でバロック彫刻空間の頂点をなすものでしょう。ローマのベルニーニによる壮大な初期バロックとは違った、より個人的で趣向を凝らした後期バロックの頂点です。

この礼拝堂を所有していたサングロ家の最後の人物は、不気味な謎の人物として後世にその名を残しました。何しろこの礼拝堂の地下には、究極の解剖学の人体モデルがあり、それには実際の血管などが使用されていると言うもっぱらの噂だからです。解剖学ではフィレンツェにも、内臓を露出したヴィーナスなど、恐るべき模型が多数存在します。でもここにあるのは身の毛もよだつもので、ライモンド・ディ・サングロは発明家、錬金術師、科学者、解剖学者、イタリア語学者、秘教主義者、フリーメーソンの重要人物であり、どこまでが本当か分からない話が伝わっています。サングロなんて血(イタリア語で血はサングエ)を連想させます。


これは礼拝堂の彫刻の一つで、ライモンドの像だと言われています。ひねくれた人だったのは確かです。この礼拝堂に財産をつぎ込むだけでなく、自らの実験室にも湯水のごとくお金をつぎ込み、ナポリ湾を滑走する馬車などの様々な物を思いつき、出版しました。当然経済は逼迫したものの、礼拝堂は仕上がり、自らの命も、実験で吸い込んだガスが元凶で尽きようとしていたのでした。あんな凄いものを残してくれて感謝します。

で二番目に見るべきものとは、全然見たくないけど彼の研究から生まれた人体モデルです。あまりに怖くて写真はアップしませんが、怖いもの見たさの人は、museo della cappella Sansevero とか Raimondo de Sangro で検索してください。よろしく。




Buon Anno! 明けましておめでとうございます

毎年、年末年始も本とコンピューターにまみれています。

楽しみの年末ボクシングは、内山が引退してしまったので少し寂しかったけれど、その分田口が頑張ってくれました。私も根性出して、今年はイタリア美術と歴史の旅を復活させます。とんでもなくマイナーなものも含め、日本語では読めない、南イタリア情報あげまくるので、興味のある人はぜひ読んでやって下さい。

旅行に興味のある人は1月の集まりよろしくー💞



写真は南イタリアではなく、愛するルッカの街角聖母子。
イエスの後ろ姿が可愛くて大好きです。

講師を初めた頃より、当然ですがずっと詳しくなりました。こんなに続けられたのも、安くない授業料を払って受講し続けてくださる人々のおかげです。本当に感謝しています。もっともっと良いボクシングでなく、授業できるようにばんがるので、どうぞよろしくお願いします。



2017年12月31日日曜日

モリーゼ:カンポバッソ

モリーゼ州は1970年に州になったイタリア一新しい州なので、首都カンポバッソは統合した内の一つに過ぎません。カンポバッソとは低い野原とでもいうような意味で、州の6割が山岳地帯なモリーゼにおいて、平野のある穏やかな場所です。ちなみにイタリア全土の山岳地域は35,2パーセントです。


私は大学卒業後数年間デザイナーをしていました。その時に、よくイメージ広告で使うための写真集を見ましたが、これはまさにそんな写真です。誰もが見て穏やかな気持ちになるような、主張しない美しい風景、カンポバッソです。ゴッホやモネが愛した南フランスの積み藁とはまとめ方が違います。


今、私の部屋の外も雪がちらついていますが、カンポバッソにも積もっているようです。古代からある街で、多少遺跡や伝説も残りますが、印象的なのはこの中世の要塞の麓に広がった街です。要塞は封建領主が街を睨みつける印です。領主の城のすぐ下には街で一番重要な聖堂が見えます。


海抜790メートルにあるモンフォルテ城は、2012年には「芸術のイタリア記念硬貨」の5ユーロに選ばれました。モンフォルテ公はナポリ男爵も兼ねていましたが、後にお芝居にでもなりそうな反乱や裏切りがあって失墜したのです。


城は「十字架の道行」の終着地です。十字架の道行きは、救世主イエスが磔刑にかかるまでに受けた受難を表現したものですが、カンポバッソでは写真にあるように、街の人々が、ペテロやマリアに扮して実演して行います。主イエスはどうやって人選するのでしょう?今度行ったら、ぜひ質問してみたいです。以外にイエス本人に会えるかもしれません!小さな街ですから。


2017年12月30日土曜日

プーリア:ロコロトンド〜ヴィッラ・フランカ

トゥルッロは独特の建築を指す言葉ですが、それはアルベロベッロのものだと思われています。確かにアルベロベッロにはトゥルッロが固まっていて普通複数形でトゥルッリと呼びます。世界遺産登録された、童話の中に入ってしまったような場所です。



でも実はあの建物はあの周辺には、あちこちに見られるものでローカル電車に乗っていると、窓からちらほら可愛い屋根が見えてきます。アルベロベッロは行って見たい場所に上がるほど、驚くべき可愛い場所です。が、年々観光化が異常事態に進んでいて、正直言って、私の感覚には合わなくなってしまいましたので、すぐ近くだけれど、ずっと自然で落ち着ける場所を紹介します。写真はアルベロベッロではなくロコロトンド(これも可愛い響きです)のトゥルッリです。ヴィッラ・フランカにもあります。これらの街の方はまだ知られていないし、街もなかなか可愛く、それはアルベロベッロとは多いに違います。あそこの街(歴史地区ではなく)は、全然可愛くないので、散歩したい気分にはとてもなれませんが、ロコロトンドは違います。


航空写真は街全体を知るのに良いので、必ず参考にします。ロコロトンドは丸い場所というような意味で、写真を見れば分かる通り、丸い市壁に覆われた土地だからです。19世紀以前には聖人の名をとった名で呼ばれたりしていました。市壁の形や聖人の名が表しているように、ここは中世真っ只中の千年頃にできた町です。大聖堂を中心に輪状に作られた小さな町は、白い壁が南らしく、思わず町中ふらふら散歩したくなるようなところです。


小さいけれど典型的なロマネスク聖堂やスペイン風の南部バロックの大きめの聖堂などもいくつもあり、車の通らない道々の窓は花で飾られ落ち着きます。この辺は封建領主の大農場地帯だったので、農作物には定評があり、特にワイン蔵を訪れることもできます。


トゥルッリの向こうに壁で囲まれた街が見えます。今年は世界中が寒いので、こんな雪で覆われているのかも。

フランカヴィッラともいう隣町は、バーリ、フォッジャと共に「イエスの昇天の国家祭り」でも有名です。なんのことじゃ?様々な産物や技術などの博覧会というのか、神の子の昇天と美人コンテストがなんの関係(昇天の日)があるのか分かりませんが、とにかく大展示会場と、豪華な別荘がたくさんあるところです。






サルデーニャ:神秘のヌラーゲ

ヌラーゲって名前だけでなんか怪しくないですか?

私がヌラーゲを知ったのは、サルデーニャへ行った後です。イタリアで詳しいガイドを購入したら、そこに図説入りで説明がありました。子供の頃から形や色、さらに不思議なモノに異常に惹かれる私は(美術史をやっていて幸せです)、ヌラーゲの頁で手が止まりました。なんじゃこりゃ〜?なんて不思議なものだろう!なんて魅力的な形なんだろう!

ヌラーゲは説明によると、島内に7000ほどあり、紀元前1800-500年(もっと幅を持たせる研究者もいる)頃に隆盛をむかえた文明の跡だそうです。古代ローマ帝国の支配が始まった頃には、まだ存在していたそうで、最も有名な紀元前9−8世紀のSantu Antineのヌラーゲはローマ皇帝コンスタンティヌスに捧げられました。ヌラーゲは本来要塞のようなものだったらしく、最も数も多く単純なものは塔だけですが、複雑になると塔を囲んだ集合体で、それが何か有機体のような謎の生き物のような印象を与えます。



不気味ー!


これは再現されたヌラーゲです。四角ではなく微妙な三角形をしています。

マントを羽織って、杖や剣を持った族長のブロンズ像も幾つも見つかっていて、私好みに原始的な力強さと、どこか笑ってしまう微笑ましさを備えたものがほとんどですが、中にはなかなかの造形感覚を示したものもあって、どんな時代にも芸術家がいたことを示してくれます。


いい感じです。ハイタッチしようとしているのか、皆の衆に話しかける合図か、祝福を施しているのか、大きな手を挙げています。頭には輪を被っているのか、中世の修道士を思わせます。姿勢は、個々の作品毎に多少違いますが、似ています。

さて、実際の旅の話に移りましょう。実は私は5回ほどサルデーニャへ入っているのですが、まだヌラーゲを訪ねていません。次はぜひ、中を見学もできる巨大ヌラーゲを見てみたいものです。結構あちこちにあるので、可能性は高いと思います。

サルデーニャにはヌラーゲの他に、ドルメン(眠るという意味で死者、お墓を意味する)の巨石文明もあり、これも広大な大地に屹立しています。どうやって建てたのか、昔の人は、重い物をものともしなかったのを痛感します。現代人は軽さの追求に躍起になっているというのに。


人がいないので大きさが判りにくいですが、石の下方に空いた穴は大きな門と思ってください。「巨人の墓」と言われるものの入り口です。日本の古墳も巨人の墓かと思いますが、あれは巨石を積んだわけではないので、こっちの方が大変かなーっと。






カンパーニア州にある「イタリアの小さな村」

http://visitaly.jp/recommend/borghi-in-campania

イタリア政府観光局のサイトです。
アマルフィの近隣の村を紹介しています。
この辺の写真は自分の写真がないので、イタリア公式サイトを見てください。

ま、正直言って一週間の旅でここまで行けるとは思えませんが(何しろカンパーニア州は見所満載なので、モリーゼとかならいくらでも行っちゃうんだけど)、あの辺の雰囲気は伝わります。アマルフィと似た地形で、急勾配に建っている家々が、真っ青な海と地中海ならではの日差しに映えて印象的です。

写真はナポリの司教座聖堂聖具室(カンパーニアの私の写真)



2017年12月29日金曜日

イタリアの旅のための新年会と冬季授業について

来年のイタリアの旅のためのパーティをしたいと書きました。年末か年始にと書いたのですが、来年の首都大学東京オープンユニバーシティ冬季講座が始まってからにしたいと思います。ということで1月後半です。なので、もうメールをくださった方には申し訳ないですが、1月後半で考えてください。よろしくお願いします。

それと首都大の冬季講座も開講が決定しています。内容は、冬季に限り、南大沢と飯田橋校の内容が似ています。全く同じでは無いですが、いつも南大沢は歴史重視で、現在レオ10世と宗教改革まで来たところですが、変わるのでご注意ください。

両校とも「イタリアの街」シリーズ最終回



https://www.ou.tmu.ac.jp/web/course/detail/1741I003/
飯田橋
フィレンツェ、ローマ、ジェノーヴァ(印刷ミスです。正しくはジェーノヴァ)、その他


https://www.ou.tmu.ac.jp/web/course/detail/1742I004/
南大沢
フィレンツェ、ペルージャ、パレルモと小さな珠玉の街

となっていますが、どちらもある程度集まった人次第で変更可能です。
南大沢に関しては、二日間で90×2時間授業の4コマで短い(ということは安くもある)ので、ぜひお近くの方でお時間のある方は、お越しください。初めての方も気軽だと思います。

サルデーニャ島あらまし

「イタリア:歴史と美術の旅2018」の候補地、最後に上がるのはサルデーニャ島です。


イタリア20州のうち特別自治区は5つあり、その内2つが島です。地中海最大の島シチーリア島、それに次ぐサルデーニャ島です。特別自治区というのは、長年独自の文化を保存して来た場所で、いわゆるローマ、フィレンツェを中心とする(と言ってもその二つはかなり違うけれど)イタリア文化とは、かなり違っているので、地域限定の言語教育があったりする、そういう場所です。都会化が進むと、いわゆる伝統文化は失われるのが一般的ですから、世界中どこでも似て来ます。

私が数十年前に初めてミラーノへ行った時、一ヶ月ロレートというミラーノのど真ん中のアパートに下宿しました。働く中年女性が空いた部屋を貸している所に、大学の友人と二人で一ヶ月泊まり、イタリア中あちこち旅して回りました。英語が通じるという話は全くの幻想に過ぎず、私の片言イタリア語がどれだけ役に立ったかわかりません。その時、一ヶ月、個人で勉強しただけのイタリア語の通じることに感動したのが、私のその後の人生を決めました。十代の時に初めてロンドンへ行った時には、書いたら正しい文章がいかに通じないかを痛感させられていたので、イタリア語の発音のし易さに驚いたのです。

初めてのミラーノ生活は勿論最高に楽しいものでしたが、ミラーノは東京とそんなに変わらないという印象も持ちました。ローマやフィレンツェの方が良かったな、と思ったものです。勿論、ミラーノは東京とは全然違うけれど、勉強不足の学生にはそう感じられました。当時シチーリアへは行きましたが、サルデーニャには行けず非常に残念でした。なぜなら、友人はシチーリアをそれほど気に入りませんでしたが、私はとても感動したので、サルデーニャも素晴らしいに違いないと確信していたのです。きっと生まれも育ちも東京の私にとって、シチーリアはミラーノよりずっと大きな差を感じさせたからです。その後、イタリアを仕事の中心に据えて、様々なイタリア関係の人々と話すうちに、サルデーニャは、人も文化もいよいよ独自だと考えられていることを知りました。確かに、私が出会ったイタリア人男性で、最も難しい人はサルデーニャ人でした。まだ30才にもなっていなかったのに複雑な人でした。

個人的な話が長くすみません。

サルデーニャ島は、エメラルド海岸という名が示す通り、素晴らしく美しい海と海岸で溢れたところです。場所によってはフラミンゴが群生していて普通に飛んでいたりします。東京ではスズメも居なくなってしまったのに・・。地図が示す通り5つの地区に分かれていて、最も小さな地区に首都カリアリがあります。交通の便は非常に悪く、そのため空港が4つもあります。

北西の地域はスペイン色が濃く、内陸に行くほど地元色が濃くなります。島全体に、ヌラーゲという謎の古代文明の遺跡があちこちに残り、その幾何学的な形態は大変幻想的です。不気味な仮面をつけて踊り狂う、伝統舞踊と音楽もそれぞれの地に残り、盛んに活動が行われて居ます。ダイビングで珊瑚を取ることもできるほど、山のように珊瑚が取れるので、珊瑚を使った様々なデザイン(古典的、伝統的、現代的、抽象的)の装飾品が特徴ある産業の一つです。歴史は異常に古く、古代ローマの跡もありますが、私にとっては中世のロマネスク様式の聖堂がたまりません。な〜んにもない平原にポツンと建つ聖堂は、主に島の中北部に幾つも点在し、ロマネスクといっても随分と異なった様式で作られています。

もしサルデーニャに行くなら島だけで一週間過ごしたいと思います。




2017年12月27日水曜日

バジリカータ州あらまし

「イタリア:歴史と美術の旅2018」の候補地に、またまたマイナーなバジリカータ州も入れてみました。舌の根も乾かないうちですが、バジリカータには一箇所だけかなり有名なマテーラという世界遺産登録された地域があります。街とは書きにくい場所ですが。


このイラスト地図を描いた人に、共有させてくれて感謝します。



バジリカータ州は、イタリア語を日常的に話す人の割合が、イタリア全州の平均値よりもかなり低く、多くの人はイタリア語と方言を併用するようだ。しかし全くイタリア語でない独自の言語が残る地域もある。イタリアにはそういう、特別区のような場所が幾つかある。例えばクールマイユールなどちょっと欧米語を知っていればすぐ分かるように、町の名自体が完全にフランス語だし、ボルツァーノなどはボーゼンと、イタリア語とドイツ語の両方の表記が当然のようになっている。しかしバジリカータの場合は、フランスやドイツのような大国と地繋がりで、どちらの文化圏が優勢か分からないような地域とは違う。純粋に数世紀に渡って作られた、様々な民族が入り乱れて作られた文化が残っているのだ。ということはそれだけ地域性が強く、観光地化されていないということでもある。

日本語版ウィキペディアに「ゆかりの人物」フランシス・コッポラ(彼の祖父がバジリカータ出身)などと紹介されるほど、日本人の知っている大物は無関係な地域だ。でもイタリア史をする者には、近代イタリアの初期の重要な首相や、マフィアや南部問題における、ある意味で英雄のような存在クロッコがいたり、中世をする者にとっては、何と言っても12世紀ルネサンスを開いたノルマン王朝の痕跡が残る場所でもある。文学や古典芸術を考える上でも、ウェルギリウスに並び評価された、紀元前の詩人ホラティウスや、古楽を知っている人にはジェズアルドもいる。激情的な音楽感覚を持っていた彼は、妻と彼女の愛人を殺したことでも有名だ。キリストの名の下、完全な平等が実現される、夢のような「太陽の都」を具現化すべく、占星術で示された時に革命を起こした、中世の修道士トンマーゾ・カンパネッラはカラーブリア州の出身だが、この地でユートピアを起こしたのだった。あっという間に、仲間の裏切りで逮捕され拷問の末投獄されてしまうが、スペイン支配から逃れ、自由に生きたいと願う民衆は彼に従ったのだった。カンパネッラの名を聞いたことがある人は、結構いるのではないか。なぜなら宮沢賢治が、「銀河鉄道の夜」の登場人物にその名を与えているからだ。賢治はトンマーゾに心酔していたに違いなく、彼自身も岩手にイーハトーブ(イワテのエスペラント語から)という理想郷を作ろうとした。私は「太陽の都」が大好きだ。どの子も平等に教育の機会が与えられ、自由に研究ができ、健康的な食事が出され、みんなで運営する都は、現在の日本の状態からも程遠い。人権など存在しなかった中世真っ只中に生きた、彼の夢見た地を訪れるのもいいだろう。行く前に是非読みたい本は「太陽の都」と反戦の芸術家カルロ・レーヴィの作品だろう。


面積の半分近くが山岳地帯と丘陵地で、平野は全体の10%に満たない。それに伴い丘に張り付いた町の景観がなかなか面白い。

メルフィのノルマン人要塞、メタポントのギリシャ神殿、世界遺産マテーラの洞窟住居群、ブラジルみたいな山上の巨大彫刻もあったりするし、ターラントは子供の頃から知っていて、是非行ってみたい場所だ。


モリーゼ州あらまし

Molise(モリーゼ)の名を聞いたこともない方が、イタリア好きでも当たり前か、というほど無名の州に行こうかと、考えている私は無謀ですが、それを理解してくれそうな旅の仲間たちが居るのではないかという期待から、一応「イタリア:歴史と美術の旅2018」の案に入れて見ました。

モリーゼは20州あるイタリアの全ての州の中で人口は二番目に少ないのですが、一番少ないValle d'Aosta(ヴァッレ・ダオスタ)州は、モンブランへの通り道だったり、古代ローマの合戦の時、ハンニバルの像の軍隊がアルプス越えするなど歴史的にも名高く、街は非常に観光地化が進み、有名です。なのでモリーゼは誰が見てもイタリア一知られていない州です。が、近年はそれを逆手にとって、汚されていない自然に生息する動物たちと、古代、中世、近世に建てられ、打ち捨てられたような城や聖堂の保存に努め、ヨーロッパの旅慣れた人々にとっての、新たな隠れた観光地として整備が始まっています。




ローマを首都とするラツィオ州やナポリを要するカンパーニア州に挟まれ、ちま〜っとして居るのがモリーゼです。ここも実は4つほどの地域に分かれていました。テルモリにはイタリアで最も有名なフィアットの大工場があり、食品加工業などもひしめいていますが、イゼルニアは私が最も訪ねたい聖堂が輝いているところです。どれも真剣なロマネスク好きでない限り、たどり着けないような場所にあります。カンポバッソは現在、首都でトレッキングや、山小屋でのんびりするドイツ系の人たちに愛される、絵本のような場所。人間イエスの聖史劇が行われます。

う〜ん、普通はイタリアへ行きたい人にまずオススメする場所でないのは確かです。観光客やおみやげ物屋が嫌いだけど、旅したい人にお勧め、と言っても絶対に言葉は必須です。


これはカンポバッソでかつて大修道院があったところに残った、ごくごく一部の聖堂。崩れたアーチの列がかつての修道院の大きさを物語っています。

個々の聖堂などは全州のあらましが終わったら書き始めます。


2017年12月25日月曜日

プーリア州あらまし

「イタリア歴史と美術の旅2018」秋に向けての旅をどこにするか話し合うため、旅先の紹介をアップして行きます。

Puglia(プッリャ、プーリア、プーリャ)州の首都はBari(バーリ)です。
が文化的に4つの地域に分けられます。北から
1)Foggia(フォッジャ)を中心としたガルガーノ地区。
2)Bari文化圏
3)Brindisi(ブリンディシ)とTaranto(ターラント)
4)Lecce(レッチェ)とサレント地区



イタリアのブーツの踵にあたる、アドリア海に面した、気候的には最高かと思える素晴らしい地域です。一世を風靡した映画「グラン・ブルー」の撮影も、一部プーリャの海で行われました。個人的にも強烈な思い出がいくつもありますが、もしプーリャに行くならこの州だけにしますし、それでも一週間では全く一部しか見られませんので、この4つの地域で1つか二つにします。

歴史に興味があれば、絶対に「ノルマン王国」について読んでから行くべき場所で、最後の花、フリードリッヒ二世も良いですが、個人的には初めてノルマンコンカー(結局彼等はイギリスを征服した)の初期の人物たちに因んだ、大天使ミカエルの洞窟やノルマンロマネスクの建造物が大好きです。時機がピッタリのサンタクロース(聖ニコラ)はバーリに眠っています。街としてはバーリとレッチェがかなりの規模で、古代ローマ遺跡から現代のファッション街まで、ひったくりも多いですが活気があります。フリードリッヒといえば、世界遺産登録されている建造物の中でも最も個性的な一つに違いない Castel del Monte(カステル・デル・モンテ=山の城)がフォッジャとバーリの間にあります。印象的なのは、海に突き出るような場所に屹立する大聖堂です。風景とロマネスクの石が響きあい、実に感動的です。内陸には、背は低いけれど、バロックとは違った中世の装飾で溢れた大聖堂もあります。

古代ローマ街道の終点で地中海へ抜ける世界の港ブリンディシも、その向こうにギリシャがあると想像すると壮大な数千年の歴史が浮かびますし、dolmenと言うヨーロッパに残る原始時代の巨石文明も、あちこちに散らばっています。

食という意味では、イタリアの食材の実に半分以上がプーリャで取られるというデータがあり、特にオリーブ、トマトなど輸出向けに、トスカーナの表示が貼られて売られたりすると、専門家から聞いたことがあります。ワインはほとんどが当地で飲まれる(寝かせない)ため、あまり輸出はされません。要するに食材のほとんどが大変新鮮だということです。長く居ると季節労働者(畑の作業)の姿が目につきます。

アドリア海側は日本人観光者が非常に少なく、一度などは日本を知らない人に出会い、説明に苦労しましたが、結局そのおじいさんは中国を想像するのがやっとでした。なんと最初は私を、南イタリアの他の街の人間と思ったくらいのローカルさです。「君は他所者(よそもの)だろう?」と得意げに言う。「分かるよ。話し方が違うから。」そーですか、すみません。この地域の方言は一言も知りません。「隣町(村)かな?それとももっと遠く?」と彼は言い出し、初めてイタリア人以外だとさえ思っていないのが理解できました。それ程地域の人としかコミュニケーションがなかったのでしょう。地球の裏側から来たと知ると、街の要人に紹介してくれ、発掘(ノルマン王朝のお墓を暴いていた)調査を説明付きで見せてもらえました。彼はまだ元気でしょうか。きっとモルフェッタ天国です。






2017年12月24日日曜日

カンパーニア州あらまし

「イタリア歴史と美術の旅2018」用に考えている州(モリーゼ、カンパーニア、バジリカータ、プーリャ、サルデーニャ島)中、圧倒的にカンパーニア州が、歴史的、文化遺産的に重要で、巨大です。


中世ヨーロッパで都市と言えるような場所は少なく、パリと人口だけは多かったロンドン以外は、全てイタリアにあります。フィレンツェ、ジェーノヴァ、ヴェネーツィア、ミラーノ、ナーポリは常に人口も多く、真の意味で都市であり続けましたが、ナーポリは圧倒的に巨大でした。古代から栄え、中世にはフランス王と神聖ローマ皇帝の争奪戦の的となったナポリは、近代には音楽の都として繁栄します。要するに常に大都会でした。そして大都会に付き物の問題も存在しました。それは今も変わりません。

「ナポリを見て死ね!」なのか「ナポリを見たら死ぬ」のかは受け取る人次第でしょう。

世界に誇れる堂々とした博物館、美術館、オペラハウス、劇場があり、あっと驚くような聖堂も幾つもあります。一度ナポリを好きになると、他には興味がなくなるほど強烈な個性が、街にはあります。私は、個人的には住みたい街ナンバーワンと思ったことは一度もありませんが、何度でも見たくなる、ゆっくりしたい場所は何か所もあります。考古学博物館は世界一ですが、私には、丘の上のファルネーゼ家の美術コレクションからなる、ブルボン王家の巨大な館 Capodimonte(カポ・ディ・モンテ=山の頭)美術館が最高です。カラヴァッジョは多作ですが、彼の質の良い作品があり、シモーネ・マルティーニの傑作があり、ルネサンス、バロック、ロマン派などの作品もすごいものが揃っています。マニエリスムの大人気画家パルミジャニーノの女性像などもあります。これは数年前に西洋美術館の目玉作品として来日しました。とにかくナポリにいれば一週間はあっという間に過ぎるでしょう。

そうそう、人生最高のピッツァもナポリでした。

カンパーニアにはかの有名な「青の洞窟」のカープリ、カンツォーネ「帰れソレントへ」の港ソレント、18世紀に建てられたヨーロッパ最大の王宮と中世の街を持つカゼルタ、一時は日本映画の舞台にもなったアマルフィ、個人的には、ロンゴバルドとギリシャの色濃いベネヴェント、などなどいくらでも見所があります。




来年に向けたイタリア会のお知らせ

年末か、年明けに国立(レストラン文流かアルトパッショ)でパーティをしたいと思います。誰でもではなくて、来年秋に「イタリア美術の旅」をする予定なので、興味のある人だけの集まりにします。勿論イタリア旅行絶対参加決定ではなくて、当然ですが、考えてみようという人も歓迎します。簡単に内容を示すので、参加してみようという方は、小パーティにご都合の好い日を書いてメールをください。romanici@gmail.com

内容は以下の通り(おおよそ)
⭐️  9月の第二週あたりの平日出発
⭐️  イタリアに一週間、全部で10日ほど
⭐️  持ち物は機内持ち込み可能のスーツケースなどに限る
⭐️  金額は、講師が共に行く一般のツアーと比較して信じ難い安さ
⭐️  その分、荷物など自力で運び、昼夕の食事は含まない
⭐️  目的は聖堂、博物館、街巡りであって、一般のツアーより美術鑑賞時間が長い
⭐️  移動時間をできるだけ減らし、景色、作品などをゆっくり堪能するため連泊
⭐️  普通のホテルはできるだけ使わず、個性的な歴史建造物に宿泊するため、一般のツアーのような便利さは追求できない(例:バスタブは無い)
⭐️  4月に航空券が発表されてすぐにチケットを取りたいので、それ以降の申し込みは金額が上がる可能性がある

だいたいいつもこんな感じです。
で今回集まって話し合いたいのは、行く場所です。
南部に行くことは一応決定していますが、それ以上は話し合いで決めます。
私が、プランを幾つか提案するので、それを元にどうするか行きたい人で決めて行きます。

⭐️  プーリィア州
⭐️  モリーゼ州
⭐️  バジリカータ州
⭐️  カンパーニア州
⭐️  サルデーニャ島


(写真はモリーゼのBagnoli del Trigno)

の中から2〜3の宿泊場所を決めます。移動は公共の手段を使い、日本人集団が移動するツアーとは違った、現地の生体験をします。バスも存在しない地域では車をチャーターします。初日本人、みたいな場所もいくつかありますし、ナポリのように大都市もありますがどうするかはみんな次第。超珍しい地域と有名な街を組み合わせます。

連絡待ってる!!


2017年12月23日土曜日

Buon Natale

ブォナターレ!
御聖誕をお祝いする言葉。

なんか日本語で書くと物凄く硬いけど、イタリア語では非常に気楽な感じというか、親しみやすい感じです。これは聖書を読んでもいつも感じることだけれど、イタリアにいる方が神を感じやすい。キリスト教徒が1パーセント未満の日本なんだから当たり前か。歴史も全く違うしね。それなのに、日本でも当然のようにクリスマスは有名で、売りまくろうとか、楽しもうとか、そういった気分で一杯です。


写真(クリックしてみてください。大きくなります。)は、ウディネの博物館で撮影しました。生まれたてというより、ごくごく乳を飲みまくる、非常に元気なイエスと、実に頑丈そうな完璧に白人のマリアが、ドイツ文化圏が近いのを感じさせます。何よりもルネサンス期以降、すっかり青と赤に決められてしまうマリアの衣装など無関係に、何もかも金ピカなのもいい感じです。でもよく見るとところどころに色が残り、塗り替えられながら大切にされたのが伝わります。

不穏な世の中だけれど、少しでも世の中に平和がありますように

2017年11月26日日曜日

基督教生まれの物事

今月終わった放送大学の多摩学習センターでの授業は
「基督教生まれの物事」っていうようなものでした。

いつも教室が溢れそうなのに、今回は前回の「修道院から生まれたもの」の続編のようなところもあったためか全員が発言できる程の人数でした。発言をきちんと聞けるのは30人が限度ですね。

私たちが日常、あまりにも当たり前に使っている「カレンダー(日付)」を始め、「複式簿記」のような現代の経済の基本となる思考法、予想外に人気があったのは「カーテン」を始めとしたプライベート空間の創出です。参考資料に使ったラッファエッロの作品の力もあるかも。私がたくさん持っている「眼鏡」や、仕事、というより私の人生の基本である「本「大学」もそうです。「ボタン」、「針」、などの日常の細々したことから、今で言えばインスタ映えしないので、時間をかけませんでしたが、「停戦・休戦」「病院」「福祉」という平和的な精神に関する内容は、今回最も言いたかったことです。いつも言っていることだけれど、宗教が殺すのではなく、人の欲が殺すのだということを、真面目に考えてほしい。毎日多くの人の命が、不自然な形で奪われている今、最も大切なことだと思うから。



参加者から「自分がいかに何も知らないか痛感した。」と、今回も言われました。ソクラテスを思い出します。中学生の時、読んでも理解できることがあまりにも少なく、考えさせられました。今も、世界は私の理解を超えたことだらけですが、考えるのをやめた時、人は人で無くなるのだと思って、生きています。




2017年11月24日金曜日

知られざる芸術家の人生

今月は放送大学の授業が6日もあったからきつかったけど、風邪もひかずに乗り切りました。人数を絞って、良い画像を追求したせいもあってか、いつもよりさらに感動してくれた参加者が多かったかもしれない。内容が、何と言ってもやりたい事に近かったし。

今回紹介した芸術家は、以下の通り。

Benedetto Antelami ベネデット・アンテーラミ
Simone Martini シモーネ・マルティーニ 
Beato Angelico ベアート・アンジェリコ
Donatello ドナテッロ
Andrea del Sarto アンドレア・デル・サルト
Rosso Fiorentino ロッソ・フィオレンティーノ

90分で一人紹介しなくちゃならないし、質疑応答や美術や歴史全体の説明もあるから、当初予定していた二人、カルロ・クリベッリとロレンツォ・ロットを削りました。

クリベッリに関しては、良い画像を使えるという事で、彼の工芸的な技が紹介できると思ったんだけど、考えて見たら、彼に関しては資料はほとんど無くて、人生が語れる訳ないし、ロットは、ほんとやりたかったんだけど、ヴェネツィア美術に関して、ビザンチンとかベッリーニ工房なんかの話もしなくちゃいけないから諦めた。いつも盛りだくさんとか、内容が濃すぎるとか言われてるから、その方が良かったと思う。


私は子供の頃から絵が好きで、描いてもいたけれど、見るのも大好きでしょっちゅう画集を見てた。展覧会にも連れて行ってもらったから、美術のない生活なんて考えられない。作品は、有名だからとか、有名人のものだからとか、そんな風に見るものでは決してない。聞いたことも見たこともないけど、なんて素晴らしい作品なんだろう、という瞬間が最高だ。ドナテッロは、私からすれば、これ以上ない最高の芸術家だけれど、世間的にはレオナルドの絵かもしれないものの方が、よほど関心を引く。それは資本主義、投資であって、芸術家の精神とは真逆のものだ。アンドレアの驚くほど、素直で繊細な光には、知らずのうちに涙が出るほどだけれど、彼の名を知る人は滅多にいない。


2017年11月8日水曜日

サルデーニャのロマネスク聖堂巡り

http://www.japanitalytravel.com/arte_romanica/top.html

真面目なイタリア専門旅行サイトに断続的に連載してます。
上のサイトをチェックしてね。


写真は、冒険を重ねてたどり着いた、孤高のロマネスク聖堂。サイトの記事に説明あり。

今年は体調の問題があって、イタリア美術の旅を結構しなかったけれど、来年は復活するので興味のある人は是非見てね。乞うご期待!