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2018年1月25日木曜日

モリーゼ:テルモリ;世界一細い道

やっぱりモリーゼが捨てられない私は、今日も地味な中世真っ只中の小さな街を紹介します。村とは書きません。村ではなく規模が小さいだけで、街だからです。村とは共同体の文化的な施設などが確認されない場所ですが、街には市庁舎、中心となる聖堂、劇場や市場などが揃っていますし、中世由来の街ならば要塞や城もあります。このテルモリはやっぱり街。ヨーロッパ標準時間の中心にあるので「標準時間」をイタリア語では「テルモリ時間」と言ったりする、海抜2メートルの街。とっても可愛いけれど。


Termoli

モリーゼ州は海に面した場所が多くはありませんが、テルモリはアドリア海に面した街です。プーリアのモルフェッタで見たように、ここも島状に突き出た部分が完全に中世の街だったと分かります。航空写真をよく見てください。海に面した部分だけ、丸く囲われたようになっていて、大陸部分は碁盤の目状になっています。古代ローマの街は、東西南北に直線の大通りを通して作られますが、中世の都市作りの基本は要塞都市で、真ん中に城をおき、厚い壁で街全体を覆い、壁や道は真っ直ぐではなく、曲がりくねった路地のようになっています。貧しさからだけでなく、防衛のためです。


テルモリにもイタリアの多くの街と同じように、紀元前から人が住んでいました。ネクロポリスの跡があります。でもランゴバルドとノルマン人がやって来て、多分大陸から追われた地元民は、海へ逃げたのです。ヴェネツィアのように。


今もノルマン人が9世紀に作り始め、ヴェネツィアの攻撃に対抗して、フリードリッヒ二世が13世紀に作らせた要塞の塔が、街の端にしっかりと建ち、電気設備が投入されて使用されています。


Santa Maria della Purificazione

現在は聖母に捧げられていますが、元は聖バッソに捧げられた大聖堂は、プーリア式の私が最も好きなタイプのロマネスク様式です。9〜10世紀に建設が始まった聖堂は、地震などを乗り越え改築されながらも、それほど極端な変化は被らずに現在に至っています。


San Basso

ファサードは、ロマネスク・アーチを複雑に重ねることで、白一色の聖堂に陰影のデザインを施す仕組みが美しく、アドリア海の透き通った空気と蒼空に映えます。写真は、街の守護聖人バッソを担ぎ出し、これから宗教行列を行うところです。



聖人が町中を行列するのは、カトリックのあちこちで見られる習慣ですが、この聖人は町中を行列するだけではありません。


現代の動力付き船に乗り込んだ聖人の船を取り囲むように、何台も漁船が出、収穫量を競います。赤銅色に日焼けした男たちの争いが終わると、街の人たちが勝者を祝います。


一時的に蘇った聖人も聖堂に帰り、クリプタ(地下礼拝堂)の御遺体へ戻ります。


これはクリプタから見つかった床モザイクの一部です。5〜6世紀に最初の聖堂が建てられました。その後10世紀以降に上の聖堂が建てられ始め、その時に新たな床で覆われてしまったので、最近まで知られないで来たのです。モザイクは1000年以前のもので、様式としてはオトラントにある有名なモザイクと似ています。赤、黒、白の三色で、地中海系の正しいデッサンは全く頭に無く、謎の動物などを描く方法です。ランゴバルドなどケルトとの繋がりを感じます。


なんの写真?これは「世界一細い道」というコンテスト(?)で栄冠を手にした、異常に細い道です。rejece'lleというのですが、ここだけでは無く街のあちこちにこういう道が通っています。

あの〜、そこ通らなくてもいいんじゃないでしょうか?と言いたくなるようなものが、あっちにもこっちにもあって、恋人たちには好都合らしく、二人でくっつきまくった結婚式の写真までありました。なんと33〜34センチ幅というのだから、行く前にダイエットする明確なモチベーションになります!


旧市街への入り口

ここは海と世界一細い路地と標準時間が自慢の街。
旅:テルモリへは、モリーゼに行くなら訪問したいと思います。




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