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2017年9月8日金曜日

イタリアの街:Cividale チヴィダーレ

Cividale dei Friuli:チヴィダーレ・デイ・フリウーリ
Friuli Venezia Giulia フリウーリ・ヴェネツィア・ジューリア州

チヴィダーレの名前を知っている人は大した人です!というか私が訪ねた時、人口1万人ちょっとの小さな街で出会った旅人は、全て研究者でした。訪問先の街で誰に出会うかには、非常に大きな差があります。例えばフィレンツェやヴェネツィアのようなスーペル・ウルトラ観光地ではうんざりする異常な数の観光者に出会います。特にサン・マルコとか駅周辺などはほとんどが観光者でしょう。そういった街でもちょっと離れたり、最大級に有名な場所でなければもう、閑散としたものですが・・。それにしても、私はイタリア中旅して回っていますが、チヴィダーレのような街は初めてでした。中世木彫象が専門のモル教授が主催する展覧会があったためとはいえ、遭遇した人々は全員が博物館、美術館の研究員や大学教授でした。



チヴィダーレは美術史の教科書(イタリアの教科書、日本の出版物にはほとんど記述はないでしょう)には必ず出てくる有名な街です。ロンゴヴァルドという蛮族大移動時代の、イタリアに建国した人々が残した、とても印象的な作品の中で最も知られた作品がここにはあるからです。私は初めて本でそれを目にした時からここを尋ねるのが夢でしたが、あまり行きやすい場所ではありません。そこでこの州を固めて見ようと旅を計画したのです。

フリウーリ・ヴェネツィア・ジューリア州では、日本では特に「トリエステの坂道」(須賀敦子著)のおかげでトリエステが知られていると思います。あまりイタリアらしくない街ですが、特にイタリア近代史においては重要ですし綺麗な街です。いつかトリエステの話もしたいですが、今はウディネから可愛い電車に乗って、チヴィダーレへ。


何しろ情報がない中駅前の近代的な工場を横目に、森や屋敷の庭に沿ってバールで聞いた方向へ向かうとその街はあります。中世には栄えても今は鄙びた、イタリアに無数にある小さな田舎の村です。それでも流石イタリアで、広場がいくつもあり立派な大聖堂と市庁舎(写真)があります。立っているのはシーザー、カエサル、チェーザレです。(何語読みしたらいいでしょうか?)古代ローマ帝国時代に北イタリアの蛮族対策のためカエサルが建国した街なのです。どの街でも必ず司教座聖堂へ入リます。が、ここのメインは博物館と王室礼拝堂です。考古学博物館には他では見られないロンゴバルドの品々が分かり易い説明とともに多数展示してあり、それだけで大満足です。私はこれらのデザインが大好きなので、複製アクセサリーの工房で、彼らの定番デザインである逆S字を購入。本物は宝石付きですが残念ながらそれは諦めます。写真は現在十分に使えるペンダントヘッドです。これらのものは7〜9世紀の物が中心で、いわゆる地中海デザインとは全く違ったものです。


最大の見所はペンモの祭壇。大理石の祭壇にパワフルで天真爛漫な、どうしてこんな下手な人が彫ったんだろうか?とも言えるとてつもないレリーフが目一杯掘られています。撮影の許可はもらいましたが、転載できないので載せられません。非常に残念です。現在はかすかに色が残っているだけですが、展示では時々、色彩を再現する投射が行われ、それを目にしたら二度と忘れられない迫力です。素晴らしい展示方法です。

もう十分来た甲斐があるのですが、もう一つの目玉、王室礼拝堂へ。ここは素晴らしい立地にあり撮影もできるので、ちょっぴり喜びを分かち合ってもらえます。


小さな礼拝堂ですが、王家の人々の書見台がそのまま残り、ロンゴバルド芸術の美の頂点と言われるレリーフを間近に見ることができます。時代により空間にも変更が行われたのは明白で、違った時代のフレスコなどが残っています。特別な空間を堪能して外へ出ると、そこは天国です。澄み切った空気と水に爽やかな太陽の光。北イタリアの小村の素晴らしさが凝縮しています。


ベネディクト会系修道院だった名残で、果樹園もありゆっくりできます。素晴らしい風景を堪能しながら、川沿いに小道を行くと城壁外の街へ出ます。そこには巡礼聖堂や13世紀の家などが保存されています。街の反対側には、おなじみ中世の悪魔の橋があり、違った地区へ。一部城壁と門が残る部分に、また別の広場があり雰囲気が変わります。人々は全く観光ずれしていなくて、時間は穏やかにゆっくり過ぎます。食に関しては山らしく木ノ実を使った料理が充実しています。今回はウディネから通ったのですが次回はぜひ宿泊したいと思っています。



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