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2018年8月18日土曜日

2018年9月イタリアの旅:パエストゥムとサレルノ司教座

9月25日(四日目)

サレルノが最高なのは、この旅の当初から計画しているパエストゥムに行くため。30分で着きます。

Paestum

ポンペイに行かない代わりってわけじゃないけどパエストゥム訪問。

ここについても以前書いているので見てください。パエストゥムの説明があります。ヘラ、ケレス、ネプチューンの三つの違った様式の神殿が残った世界でも有数の古代ギリシャ遺跡です。今からもう、アドリア海の真っ青な海と空、広々した空間に堂々と立つ神殿が想像できます。シチーリアでも感動しましたが、ここが最も状態が良いのです。

3 templi

二つは判別可能ですが三つ目が遠くにあるのが分かりますか?みんなが疲れていなければ歩きましょう。外の神殿を回ったらお昼にしましょう。博物館レストランと博物館カフェの他に「パニーノの神殿」と言うお惣菜パニーノ店もあり、どれもいい感じです。そのどこかで。

Mozzarella di Bufala

北部と違って南部イタリアは、とにかく新鮮!野菜もそうだけど日本人にとっては絶対チーズ!チーズには熟成させたものとその日に食べる新鮮なものがあって、南部では絶対新鮮系がお勧め!写真は水牛のモッツァレッラのブルスケッタ。超シンプルだけど、それだけにトマトやチーズ、オリーブオイルの味が最高💛

お昼が終わったら、いよいよ「飛び込む人」に会いに博物館へ。

飛び込む人

このなんとも言えない楽しげなお墓のフレスコを拝みに行きます。以前は詳しく書いてるので読んでね。


この周辺はとっくに世界遺産登録されている場所ですが、珍しいエトルリアやギリシャのフレスコが極めて多く、非常に観がいのありそうな博物館です。

Tempio di Netturno

絵かと見紛う美しさです。

パエストゥムを満喫したらサレルノへ帰ります。サレルノ駅目の前のホテルへ、荷物と共に入室。元気のある人は私と街へ繰り出しましょう🍷

Salerno

私は何が何でも司教座聖堂へ行くと決めているけど、疲れていたら宿で休んでいてください。ナポリよりずっと安全だし、たまには外出組とお休み組に分かれて、別々に食事しましょう🍝
Duomo di Salerno, San Matteo Evangelista

私と大聖堂へ向かった人を、福音書記者が迎えてくれる。

パエストゥムからサレルノへ帰ってきたら、宿で一息してすぐ司教座聖堂へ向かいます。宿が駅前だと、移動には圧倒的に便利。

San Matteo Evangelista

なんと派手な聖人でしょうか❗️よく観れば確かな技術で製作された銀の彫刻と判ります。もっとよく観察すれば、天使のような存在と本が見てとれます。西洋美術を勉強していれば、これでマタイと分かるはずです。福音書記者マタイの象徴は「羽の生えた人のようなもの」なので天使みたいなのは、実は天使ではなくマタイの象徴、手に持っている本は当然、自分で書いた福音書です。現代のド派手な飾り付けでも福音書がお花で表現されています。


サレルノの守護聖人は、なんと福音書記者マタイ。なんとって書いたけど、だって福音書記者ってたった4人しかいないのだから、そりゃー大したものです。しかもマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという順番で新約聖書は並んでいるので、聖書を開けたらまずマタイが目に入ります。因みにマタイが「有羽の人のようなもの」なのは、マタイがキリストの人間界における系譜から書き始めた事と関連があると言われます。ライオンのマルコ(力強い内容)、牛のルカ(ルカは馬小屋でイエスが生まれたと書いたので)、鷲のヨハネ(彼の文章は飛翔するようだから)と比較すると、断然意味が明快です。ヴェネツィアが聖マルコの遺体を盗んで来たのは有名な話ですが、サレルノにはシリア生まれのマタイの御遺体があります。上は聖人のお祭りの写真、9月21日、私のイタリアの旅に参加しにみんながナポリに着くその日です。う〜んちょこっと残念。


近くで見るとかなり怖い。これは1544年にサラセン人の大襲撃を受けたサレルノを、聖人が救ったときの奇跡。大聖堂で祈る人々、突如、天が割れ現れた聖人は「サレルノは私のものだっ!!」と怒鳴ると、一天にわかにかき曇り嵐や竜巻がサラセン人を乗せた船を木っ端微塵にしたのでした。その時からサレルノのシンボルは聖マタイとなりました。

Simbolo di Universita` di Salerno

サレルノの象徴表現はいくつかありますが、とにかく聖マタイが主人公です。ここではペンと本を持っています、ペンの代わりに本と祝福の手というのもあり、これは上記の奇跡を忘れないためです。それではこの象徴はなんでしょう?ペン両脇には長衣の人たち。Hippocratica Civitas Studium Salerni と書いてあります。ヒポクラテスは紀元前460-370年頃生きたギリシャの医者です。彼の最大の功績は、医学を迷信や呪術(祈祷)などから解き放ち、臨床と観察が大切、というまさに科学の真髄に導いた事です。現代だって非科学的な思考は数多に見られるのだから、真に知的な人でした。それがなぜサレルノ?

Universita` di Salerno

サレルノには9世紀にもう高名な医者がいて英仏の王様などがやって来たという、世界初の医学校があったそうです。12世紀には当時知られた世界中で有名になり、13世紀にはバチカン公認となっています。要するに世界初の医大であり、大学としてもボローニャ、パリに次ぐのです。シンボルの人に戻るけど、長い衣を着た人は知識人で、彼らは医者なのです。

Cattedrale San Matteo

横道に外れましたが、という事で聖マタイへ捧げられた司教座聖堂へ。交差部にドームがかかっていないのは古い証拠。さらに聖堂前に中庭がついているのも歴史を感じさせます。

近世に撮影されたバロックの正面です

ビザンチンのモザイクもあちこちに残っています

床モザイクも最高品質

コマチーニ

コマチーニってイタリア語でよく言うんだけど、幾何学的で精巧な床モザイクを各地で製作した人々のこと、またその作品。中世に豊かで重要だった聖堂に観られる。千年経っても色褪せない素晴らしい技術。この聖堂内では、床だけじゃなく、説教壇や衝立などにも使われて居ます。

守ってくれている。こういうところは日本と同じ


観終わった頃は日が暮れていると思うけど、ここまで暗くないんじゃないかな。聖堂は旧市街の真ん中だから、そこで食べて帰ろう。サレルノではあちこちの聖堂で無料のコンサートもやってるみたいだし、もし私たちが居る二日にそんなイベントがあったら行ってみない?

海を背景に、聖堂前広場でコンサート


2018年8月16日木曜日

2018年9月イタリアの旅:世界最高峰の考古学博物館とルッカの十字架

9月24日(三日目)

移動の日。この旅では2回しか移動しませんし、前後がナポリなんだけど、間に二日サレルノへ泊まります。

Croce di Lucca

アマルフィやポジターノに泊まろうかと思った私が甘過ぎでした。アマルフィにはそれなりに宿の数あはるけれど、カップル用、家族用でダブルベッドだらけ。どこでもそうなんだけど、人数分のベッドを探すと言うのが最大のネックになってアマルフィは却下。ポジターノは、私のような貧乏人は見たら目が潰れちゃうくらいの金額で却下💰

ティレニア海沿岸地図

サレルノにするか、海に面したバルコニー付きのロマンチックな宿にするかすごく悩んだ末、サレルノに決定。ロマンチックな宿は辺鄙な場所には見つけたけど、行くのに時間がかかる。それに反してサレルノならナポリから40分(急行なら30分)で、その上しょっちゅう電車があるので凄く気が楽です。マイオーリの海に張り出した宿を考えたけど、そこへ行くには一日二本しか選択肢が無かったから。と言うことでサレルノでは超駅前のめっちゃくちゃ便利なホテルに二泊。シンプルだけど広いし、仕事が確実と評判です。と言うわけでサレルノへは夜到着しても心配なし。1日の最後に移動します。

月曜日なので閉まっていないところで最重要なのが、世界最高峰の考古学博物館です。

Museo Archeologico Nazionale di Napoli

私は正直言って、ナポリは詳しくありませんし、考古学は門外漢なので、ここへも2回しか行ったことがありません。しかも一回は風邪をひいて具合が悪いのに無理して頑張って見たので、今回は万全の体制で臨みたいです!

この超広大な建造物は16世紀に馬の調教用に建てられました。全く信じ難いことです。17世紀には大学として改築され、1777年にナポリ大学が旧イエズス会修道院へ移動すると、ブルボン家など王家の収蔵品を展示する場(大図書館もある)となり、1860年いよいよイタリアが生まれた時、国の所有となりました。

怖可愛いワニのモザイク

世界史の教科書に必ず登場するアレキサンダー大王のモザイクはここにあります。

紀元前333年のイッソスの戦いで、遂にアレクサンダーは王の中の王と言われたダレイオス3世自らが率いるペルシャ軍10万と激突。圧倒的少数だったにも関わらず、アレクサンダーは縦横無尽に多数の軍隊を指揮し、ダレイオスの母、妻、娘を捕虜にする。彼のカリスマ性が轟いた瞬間だった。ポンペイ出土。

西洋美術館にあるローマ風景にも描かれている、かの有名な(ルネサンス期には史上最高の作品と評価され、複製や様々なヴァリエーションで表現された古代彫刻)ファルネーゼのヘラクレスもここにあります。

私のお気に入りは、黒い青銅の走る人や動物たちの像のある部屋

紀元前5世紀頃の最高にカッコいい神はゼウスかポセイドンか?

18世紀にポンペイやエルコラーノなどの遺跡からどんどん発見された、ポルノな日用品は学者たちをドギマギさせ、大混乱を引き起こしましたが、現在は「秘密の部屋」に収納されています。目を疑うような大胆な造形のものが目白押しです。

山ほど出土した男根

楽しげな巨根の焼き物たち

ポンペイから出土したものはほとんどここにある。突然の噴火で埋まってしまった人々の姿が生々しい。街の再現模型。

カメオ技法で製作された古代ローマのガラスの壺

とにかく絶対見切れない量の芸術品や日用品が、様々な技法で堪能できる、間違いなく世界最高峰の博物館です。

この博物館は(も、と言うべきか)巨大で疲れるので、午前中一杯見学。

宿の方向へ向かいながら、お昼にしましょう。

Pasta e fagioli

南イタリアの海岸地域は、言うまでもなく海の幸が断然お勧めです。私が食べたいのは伝統料理の豆のパスタ(ムール貝そえだとさらに良い)です。でも博物館の前に新しくできたヴィーガンのピッツェリーア Vitto Pitagorico があるから、お腹が空いてみんながイライラしてたらそこでも良いけど、やっぱり伝統ナポリ料理の店もたくさんあるから辛抱するか。

博物館を出るとまず目の前に聖子羊聖堂があり、コンスタンティノープルの聖母聖堂が見えます。この道を歩きます。美術アカデミーと二つの聖堂を通過。

San Pietro a Majella

今では中庭にベートーベンがいるクラシック音楽のコンサートを主にする聖ペテロ聖堂を左に曲がります。すると大きな広場に出ます。駐車場になって雑然としていますが、実は中世らしさを留めた地域で、誰〜も行かないと思うけど、私の愛するルッカのヴォルト・サントに捧げられた聖堂があります。何が何でも行きます。

Volto Santo di Lucca a Napoli

Croce di Lucca

Croce di Lucca

1688年建立。ルッカのヴォルト・サント(聖十字架)に捧げられた聖堂でしたが、20世紀に病院の一部とするため、最も芸術的だった部分が壊されました。仕方のないこととはいえ残念です。同時に聖堂ではなくなり閉じられていましたが、つい最近開かれました。すぐ上は夢のような本屋、として解放された時の写真です。中には、まだ往時を偲ばせる、外からは知る由もない素晴らしい祭壇やフレスコが残っています。私たちが行った時に空いているかどうか調べきれませんでしたが、兎に角行きます。入れたら私は感動で、話しかけられても聞こえなくなるかもしれないので、一緒に行くみんなは知っておいて。

時間をかけてナポリ料理を味わった後に、街を歩きながら地味な聖堂を見つつ宿にたどり着いたら、カバンをとっていざサレルノへ。

サレルノは世界初の医学校の地。当然医学の歴史博物館があります。怖い部分もあるけれど、人間の知識と学問の発展、逆に言えば不合理な迷信が、いかに一般的であり、人間は感情でものを考えるかと言うことが分かります。


医学校や病院がどのようなものだったかを示す様々な資料。

ヴァーチャル博物館、サレルノの医学学校と言う名前

http://www.museovirtualescuolamedicasalernitana.beniculturali.it/it/
博物館のUチューブです。その名の通り、ヴァーチャルに再現していて面白いので見てみて。司教座聖堂博物館もある。


ま、サレルノへは何時に着くか分からないから、みんなの様子を見て決めます。

2018年9月イタリアの旅:ナポリ:聖エルモ城、聖マルティーノ修道院

9月23日(日曜日)二日目の午後

お昼は超有名ですがウルトラ敷居の低いラーメン屋さんみたいなピッツェリーアへ行こうか?と書いた矢先ですが、ナポリにいる間に一度は必ず行きたいと思ってはいるものの、初日の夜に行ってもいいかな。

昼食後は複合チケットの残り、聖エルモ城と聖マルティーノ修道院へ行きます。

 Presepio

宿の周辺はバス停がいくつもあるし、ちょっと歩いてわざわざフニコラーレ(登山電車ができたので〜🎶)に乗ってもいいし、とにかくヴォーメロへ登ります。

Vomero

ヴォーメロはナポリの高級住宅地でお店も沢山ある所。違うけどナポリの表参道かな〜?カポディモンテのように一段と高い丘なので、歴史的に支配者たちの住まい、そしてかつての支配者たちは大支配、大搾取しておきながら信心深いので、自分の家のすぐそばに修道院を建てたから、お城と大修道院の複合施設が聳えています。

航空写真を見てください。変形六角形がお城(戦いのための形をしています)、その右下にある四角い部分が大修道院の回廊と中庭です。

聖エルモ城から見た大修道院の一部とヴェスヴィオ火山



Vedi Napoli e poi muori(ナポリを見て死ね)

このかっこいい言葉はゲーテが「イタリア紀行」の中で書いて有名になりましたが、彼の創作ではなく、地元の人はそう言ってる、と書いています。な〜んだ。地元贔屓(ヒイキってこう書くんだ)だったのか・・。でもまあ、西洋史に燦然と輝く都会、特に古代から中世にかけてナポリの右に出るような大都市は無かったという見方もできるから、そう言いたくもなるか。

Castel Sant'Elmo

エルモ城は実を言うと、行ったことがありません。今回ぜひ行きたい所の一つです。1275年からシャルル・ダンジュー(アンンジュー家)のお家🏠でした。16世紀に大砲用の要塞に変化して、ギザギザした形になりました。要するに街を管理するための要塞です。ナポリは、海の二つの城と丘の上の城、さらに街中に一つと巨大な城群で市民を包囲していたのです。1799年にパルテノペア(ナポリの古代名)共和国の反乱が起こり、市民に外国王室は追放されますが、あっという間に取り返され、反乱者たちは惨殺されたりこの城へ投獄されました。その中にユートピア思想で高名な修道士、トンマーゾ・カンパネッラが居ました。彼は宮沢賢治にも絶大な影響を与えた人です。その証拠に「銀河鉄道の夜」に彼の名が見られるし、賢治自身、理想共和国イーハドーブの実現に着手しました。(院生だった頃知り合ったイタリア人女性は、宮沢賢治の研究をしていたのが思い出されます。)



ここは360度ナポリが見渡せる場所にあり、最大の絶景ポイント💖

お城を歩き回って、牢獄の歴史と絶景を堪能したら、足元の聖マルティーノ大修道院へ。

San Martino

大修道院にはありがちですが、この世の天国を表すのか、呆れた素晴らしさ、壮大さです。お城を歩いて腹ごなしをした後、大修道院には様々な施設がありずっと見がいがあります。まず骸骨の装飾が有名な大回廊。ナポリが一望できる優雅な空間。以前書いているのでリンクを見てください。

https://artsaba.blogspot.com/search?q=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8E

皆違った骸骨がいっぱい並んでいる中庭

教会はナポリの守護聖人ジェンナーロの宝物館で、ナポリ・バロックが炸裂。その他歴代の主人たちが使用した馬車が集められていたり、聖フランチェスコが考案したと言うプレセピオの博物館(イタリアにはよくある)で最高最大がここです。

Presepio

ナポリでは一々大きくて、歩くだけで大変ですが、これで複合券を使いきりました。本当にお得です。ゆっくり休みながら時間をかけて見学しましょう。

今日は間違いなくヴォーメロで夕食。沢山あるしカジノまである。お店を見ながらぶらぶらして決めたらいいね。

夜の聖エルモと聖マルティーノ