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2018年1月21日日曜日

2018年秋:イタリア:美術と歴史の旅

年末からずっと書いている今年の旅についてです。

案1:カンパーニア(ナポリ、アマルフィなど大芸術の旅)
案2:プーリア(アドリア海沿いのロマネスクを巡る旅)
案3:バジリカータ+プーリア(洞窟住居と大都市)
案4:モリーゼ+モンテカッシーノ(未知の村と劇的なベネディクト会総本山)
案5:サルデーニャ(珠玉のロマネスク聖堂と古代の神秘、独自の文化)

の中から選べと1月10日に書き込みましたが、決定参加者数人からサルデーニャは無し、という意見が出ているので取りやめます。全部書いてると私もやってらんないし、今回サルデーニャは見送り。


Trani


1〜4の案で選んでください。
集まりは1月28日(日曜日)11時からお昼を食べて、簡単自己紹介した後で、打ち合わせに入ります。
場所は国立のイタリア料理店。アルトパッショは話しやすいし、美味しいんだけどトスカーナ料理だから、内容に合わせてピッツェリーアを考えてるトコ。

プーリア:海に突き出したロマネスクの大聖堂

プーリアは個人的に特別な思い出もあるところで、本当に好きなんだけど、日本人の旅行では全然紹介されない場所です。なぜかって言うと、昔はひったくりとか多くて(現在も居るにはいる)軽犯罪一位の危険地帯だったから、って言うのもあるし、北イタリアのような観光情報に溢れたとはとてもいい難い場所だからです。忘れもしない、プーリアの州都の一つフォッジャに降り立った時、いつものようにインフォメーションを探しました。観光案内がしまっていても、どこかの売店で簡単なガイドが入手できると思っていた私は甘かった。観光案内所自体が無いのにまず驚き、地図や街の情報が欲しいと言うと、いきなりコムーネ、警察、憲兵所までたらい回しになり、最後にたどり着いたのが、ウルトラ強烈な神父でした。彼については本が書きたいなー、本気で。


Trani

フォッジャの話をしたいけど、まず観光ってことでいうと、やっぱり初心者が行くべきなのは、アドリア海に突き出した絵のように美しいロマネスク聖堂訪問です。トラーニの大聖堂は先に紹介した「イタリア・ロマネスクへの旅」池田健二著(中公新書)の表紙に選ばれているほど。2014年に修復が始まったので、行く頃は最高に良い状態ではないでしょうか(分からんけど)。もし直前でも修復してるようならば、場所を変更したほうがいいけれど、まず紹介すべき場所です。私が行った時には塔の上まで上がれて(写真で見て想像してね)、ツルツルに磨り減った石段を登るのがワクワクしました。


イタリアのロマネスク聖堂は、入り口にかなり力が入っています。首がもげてしまっているけれど、二人で必死に聖堂を支えているのが健気です。


 この内部に感動できる人は相当の通ですが、完璧なロマネスクの身廊が、豪華絢爛な聖堂を見慣れた目には、非常に新鮮です。小さい祠みたいな聖堂に、信仰心を感じることがありますが、巨大な聖堂こそ人々の信心無しには絶対に建立はありえません。マトロネーオ(二階)部分に、修復のためか網がかけられていますが、本来は網のようなものはなくスッキリしています。この聖堂は、イタリアのロマネスク聖堂としては珍しく、高さを感じる聖堂で、本来ならばあったはずのフレスコはほとんど残っていません。そのため逆に、現代的な感覚でいうと、建築構造が明確になり、シンプルな美しさが印象的です。


プーリアのロマネスク聖堂では、ゴシックのようにいきなり建造物から突き出す動物たちがあちこちで見かけられます。でもフランスのガーゴイルのように怖くなくて、どれも可愛くひょうきんな表情をしています。私はバーリの聖ニコラの象(像の間違いでなく動物のゾウさんです)がお気に入りです。


後陣(アブシデ)方面から見たところです。大聖堂の向こうには、要塞が見えます。この辺は完全に、中世ノルマン帝国の刻印が押されている地域で、あちこちに信じ難い分厚さの、異常に頑丈な要塞が残っています。


Molfetta

トラーニの方が間違いなく有名ですが、私個人としてはモルフェッタの旧司教座聖堂に、心を動かされました。フランスの北、ノルマンディーからはるばる海を越え、成功を夢見てやってきた男たちがこの地に作った聖堂には、やはりフランスの香りがします。どうしても塔が二つ作りたかったんだね。と語りかけてしまいたくなるような、同じ高さの二本の塔が建っています。イタリアの場合(フランスでも見かけますが)、一本だけ先に建てて行くと、途中で金銭切れになり一本は無いも同然だったりするものですが、ここではそういうことはありません。両腕をまっすぐ上に突き上げたようなシルエットが心に刻まれます。


ミニマムアートを思い起こしさえする、この聖堂の美意識はどうしたものでしょう。私はこれに似た聖堂を見たことがありません。今までどれだけ見たか分からないほどなのに。独自の美しさを持っています。遠方からは見えませんが、近づくとロマネスクらしい浮き彫りが、重要な位置にポツンと施されていたります。海と空と聖堂の石があまりにマッチしています。


航空写真でも二本腕がはっきり見えます。モルフェッタはカッテドラーレ(司教座聖堂)と名のつくものを二つ持っています。こちらは旧聖堂 Cattedrale Vecchiaで、新司教座聖堂は街の中にあります。上の航空写真を見てください。昔はここは島でした。地続きにはなっていなくて、島全体が市壁で覆われていたのです。だから聖堂自体が、まるで市壁の一部を成しているようにデザインされているのです。


Cattedrale

新市街に新司教座聖堂があり、駅もありますから、そちらから歩いてくると、旧市街に入った途端に、雰囲気がガラリと変わります。まるで映画村(中世のヨーロッパの撮影でもしてるのか、みたいな)にでも入ったように、突如道幅が狭く曲りくねり、ドアの前に椅子を出して座った人がいます。一人の時もあれば数人で話していたり、手仕事をしていたり。日焼けした子供達が遊んでいます。本当に映画みたい。「ペルメッソ(すいません。通してください)」と何度も言いながら通ります。



Befana

1月6日はベファーナがやって来る日です。ベファーナには幾つか伝説がありますが、イエスの誕生をお祝いするために贈り物を持って行くのですが、彼女はそれがどこだか見つけられません。(三賢者に冷たくしたからという話もある)それで彼女はいまだに2000年も彷徨っているのです。良い子にしていると、素敵なものをくれますが、悪い子だと炭をくれると、私が住んでいた時もみんな言っていました。私たちが訪問する頃にはベファーナはもう街角には居ないでしょうが現在は、旧市街で宙ぶらりんで子供を見ているのです。かっこいい展示です。


新市街から旧市街へ入る門の一つ。夜はまたさらに夢想の世界ですが、絶対に言葉もできない観光者が一人で夜歩いたりしないように。残念ながら本当に危険かもしれないから。

旅:プーリアのロマネスク聖堂はノルマン・イタロ・ロマネスクで、今日紹介したトラーニとモルフェッタの他にも素晴らしい聖堂がたくさんあります。最も重要なものは間違いなくバーリの聖ニコラです。それらは、初めて訪ね歩いた時には、「これが一番好きだ」と思うほど私の気に入りました。あれからまたずっと詳しくなり、様々な地域の聖堂を見た後に見たら、どうでしょう。印象は違うでしょうか。印象は変わるものです。年齢、体調、環境、何より知識などによって、音楽、映画、本、美術作品でも、街でさえ印象は変わります。でもどの印象も自分のもの。必ず新たな発見があり、さらに進化するはずです。


2018年1月17日水曜日

ナポリ:眺望が楽しめる、とっておき聖マルティーノ博物館

*2018年のイタリア美術の旅の行き先です。

ナポリにはローマ、ミラーノ、フィレンツェには負けるけど、たくさんの博物館があります。数え方にもよるけど約50館ほど。聖セヴェーロ博物館は紹介済みなので、今日はあまり知られていないけれど、絶景が楽しめる、素敵な博物館を紹介します。


chiostro

素敵って骸骨か、と思われそうですが、骸骨はキリスト教美術では定番のモチーフです。流行り廃りはありますが「メメント・モリ」「死を思え」という道徳的な教えを表すのが一般的なので、この修道院の回廊にもあちこちに骸骨がいて、修道士たちを戒めていたのでしょう。

このように骸骨たちは美しい回廊のあちこちにいます。修道院建築で回廊は重要な場所で、芸術的価値が高い場合が多いのですが、ここは何と言っても眺望が素晴らしく、「ナポリを見て死ね!」と歌われた風光明媚なナポリ湾が一望の下!


Museo di San Martino


ここはカルトジオ会の修道院だった場所です。中世修道院制度の中でも、スター的な修道院というものがあり、例えば聖フランチェスコのフランチェスコ会や聖ドメニコのドメニコ会などは創始者の名前で分かりやすいですが、聖ベルナールのシトー会は場所の名前です。カルトジオ会もそうで、というかこっちの方が先ですが、フランスの過酷な環境の山肌に最初の修道院を開きました。あまりに風が強く、急な斜面にあったため、滑落して死人が出始め、やむなく聖ブルーノはだいぶ楽な、グラン・シャルトルーズと後に呼ばれるようになる場所へ引っ越したのでした。11世紀の話です。現在も美しい山中に僧坊が連なるカルトジオ会独特の修道院があります。が、ナポリではどんなに修行したくても、標高1000メートルの風吹きすさぶ酷い場所は存在しなくて、一番高いところへ登ってみたものの、ティレニア海とヴェスビオ火山が見える、カンツォーネが聞こえてきそうな素晴らしい場所へ来てしまいました。


それに素人が手作りした簡素なフランスの親修道院と違い(後には大修道院になっちゃたけど)、ここではシエナの有名な芸術家ティーノ・ディ・カマイーノを呼び寄せ、初めから豪華な建築物を作る計画でした。因みにティーノは大っ好きな彫刻家です。昔は彫刻家が建築家を兼ねることは普通でした。


Salvatore Fergola

1840年に描かれた絵は、この修道院から見たものです。ちっとも修行って感じがしません。でも逆に言えば、周りが楽しそうな中で修行する方が辛いでしょうから、ナポリで修行は、最大のツワモノでないとできなかったかもしれません。


Carrozza

カッロッツァとは車(自動車ではなく)のことで、写真は(馬)車です。イタリア語では電車の車両などに、同じ語源の言葉を使用します。ピアチェンツァの博物館ですごいコレクションを見たことがありますが、ここにも一部がカッロッツァに当てられています。


Mozzarela in Carrozza

モッツァレッラ・イン・カッロッツァはナポリの伝統的なドルチェの一つです。一般にイタリアらしいと世界でイメージされているものは、南部のものが多く、ピッツァもナポリだし、カッフェ(デミタスのグイッと一口、濃厚コーヒー)も最高です。このお菓子もマルゲリータ同様、シンプルが一番。アメリカや日本で色々加工したものがありますが、圧倒的にナポリで食べたのが美味でした。なんだろう、人生最高のピッツァもナポリなんだけど、なぜこんなにシンプルなのに、驚くべき美味しさなのか、どこが違うのだろうと不思議に思ったのを覚えています。


Presepio

プレセピオとは聖フランチェスコが発案者だと言われる、クリスマスの飾りです。救世主イエスの御聖誕を視覚化したものです。クリスマスツリーは北欧で生まれたもので、伝統的にイタリアではプレセピオを飾るのです。このコレクションも時々見かけますが、イタリア1芸術的で美術書などにも作品が載っているのが、ここの博物館です。天使が飛んでいます。見てみたいものです。

もちろん博物館には絵画のスペースや、宝物館、当時の貴賓室など色々ありますが、特色はこのプレセピオと眺望でしょうか。

旅について:ナポリに行くとしたら、ローマやフィレンツェ同様とても全部は見きれないので、選んで天候やみんなの体力を考えながら場所を決めることになるでしょう。正直言って、私はここへは行ったことがありません。行ってみたいので紹介してみました。


2018年1月16日火曜日

ナポリ:守護聖人サン・ジェンナーロ

9月は私のずっと追っているルッカのヴォルト・サントの祭りであるルミナーラもありますが、これは聖十字架高揚の日と言うキリスト教カレンダーにあわせたものです。

ナポリではサン・ジェンナーロの祭りがあります。イタリア3大祭りの一つと言われ、大変な信仰を集めてきました。ナポリで聖ジェンナーロを知らない人は居ません。史実としては証明できないけれど、キリスト教が公認されるちょっと前、迫害が最も激しかった頃305年に殉教したと言われるカトリックとギリシャ正教の聖人です。

1389年には有名な「血の奇跡」の話が記されています。聖人の血は殉教後、何世紀も大切に保存されてきましたが、カピカピに乾いた状態でアンフォラ(ガラスの小瓶)に保存されています。それが溶けるという奇跡です。溶け方はその時によって色々あったようで、様々な記録があります。この奇跡は熱狂的なナポリ人の間に浸透し、広まりました。


去年の聖ジェンナーロの祝日です。金の聖遺物容器の上方にある丸い容器が、聖血の瓶です。いつものミサに聖ジェンナーロの祈りが加わり、人々が期待を込めて、血が溶けるのは今か今かと待って居ます。


面白いのは、ニューヨークの大イベントの一つにもなっていることです。ニューヨークは元はオランダの植民地でしたが、イギリスが支配してから英語風に発音を変え現在に至っています。ここへは南イタリアから大勢の移民が入植し、リトルイタリーと言うイタリア人街が一つの文化を形成しました。今ではリトルイタリー自身も意味がなくなったようですが、入植当時英語の分からないイタリア人たちが、支え合いながら生きていく中で故郷の聖ジェンナーロの祭りを心の支えにしてきたのです。


2016年のニューヨークのポスターです。宗教行事、行列、食べ物、音楽、ゲームとあるように、イタリア由来のカンネッローニなどのお菓子が出るのも有名です。聖人の像は祝福というより、Vサインをしているように見えます。手にはなぜか二本の瓶を持っていて、ワインかソースみたいです。


こちらは2015年の祭りに合わせて製作されたナポリのストリート・アートです。高さ15メートルに及ぶ聖人の肖像画は、オランダ系のナポリ人 Jorit Agoch という画家が無料で製作したそうです。ナポリの国際性を感じさせます。最初彼の肖像が民族主義(人種差別)的観点で問題になったそうですが、彼はナポリの街で普通に暮らす人をモデルに、要するにカラヴァッジョのようにした、ということで問題は解決し、作品は賞賛されています。この作品は司教座聖堂サン・ジェンナーロからすぐ近くにあります。


古代から大都市だったナポリの司教座聖堂です。残念ながら大聖堂広場が無く!道に面しているので良い写真を取るのは苦しいです。外から見るとイタリア式のゴシック聖堂で両サイドの塔が、塔とは思えぬ低さというか、無いのが不思議な感じです。


堂内では司教座聖堂らしい堂々とした身廊が目に入ります。でも私にとってはそれ以上に、身廊からは見えない礼拝堂や、4世紀の洗礼堂がさらに魅力的です。


残念ながら剥がれ落ちてしまっている部分も少なくありませんが、何しろ4世紀のモザイクです。私がこの聖堂へ訪れた最大の理由が、このモザイクが見たかったからでした。初期キリスト教時代の作品は、数が非常に少なく限定的な地域にあるだけでなく、質が高いのが素晴らしい。神を表す象徴的な文字、その周囲の後光を、たっぷりした襞のカーテンで表現しているところも感心します。元は別々だった建物です。


聖ジェンナーロの名前を冠したカタコンベもあります。ローマにあるカタコンベよりずっと大きく、状態の良いフレスコも残っています。まるで地下帝国の様相です。これは大美術館カポディモンテの麓にあります。

旅について:ナポリには芸術性の高い、壮大な作品がたくさんあります。フィレンツェやローマのように、街をぶらぶらしていれば見える訳ではなく、色々なものが隠されているという印象も受けるほど、実際には、街を堪能するには多くの時間が必要です。私の旅は9月の初旬から中旬にかけてですが、聖ジェンナーロの祭りは9月の19日ですので、もしナポリに行くなら激突する可能性があります。祭りには良い面と悪い面があります。特別な機会であると同時に、物価が上がったり、ゆっくり大聖堂が見られなかったり。人それぞれでしょうが、みんなはどう考えるかな?


2018年1月14日日曜日

モンテカッシーノ:西洋修道院制度の総本山

宗教とは何か?私は常に考えてきました。最終的な答えは出ないでしょうが、不合理で不確実な現世において、人間が理想とするものの一つの解答だと思います。理想は個々人に違いはあるものの、乱暴に言ってしまえば、それは心の平安を意味します。そういう意味では、何教だって構わないという人がいますし、確かにそういう面はあると思います。ただ、八百万の神のように、植物と人間に差をつけないどころか、野球や麻雀の神様までいる日本と、アブラハムの子孫(ユダヤ、キリスト、イスラム教)との間には、やはり大きな違いがあります。年末に聖書を題材にした映画を何本も観ました。「エクソダス」(脱出という意味で、モーゼが、エジプトの奴隷状態からユダヤの民を解放する「出エジプト記」をテーマにした映画)など観ながら、モーゼでなくともなぜこんなに神は残酷なのかと問いたくなります。ゲームで驚異の世界観を打ち出した「アサシンクリード」の映画も再見。どちらも、とにかく戦うのです。戦いこそ、人間の生きる意味のようにさえ思えます。


Monte Cassino

写真はモンテカッシーノの丘に作られた戦没者のお墓です。白く見えている部分は近くから見ると次の写真のように、墓碑なのです。歴史を振り返れば、戦争が無かった時代や地域の方がむしろ珍しいほどで、第二次世界大戦以降の日本は世界史上稀に見る、平穏な時期を過ごしてきたわけですが、それを破壊しようとする人々が増えてきました。非常に悲しいことです。


お墓の奥の丘を見て下さい。頂上に建物があります。あれが西洋修道制の総本山であったモンテカッシーノ大修道院です。


1944年の写真です。モンテカッシーノは大戦の最前線となり、集中攻撃を受けた麓の町は完全に燃え尽き、大修道院もほとんど破壊されました。


これはまさに爆撃を受けている最中の写真です。戦争カメラマンのおかげで、私たちは歴史の真実を知ることができます。


1249年の大修道院の説明図です。ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」はじめ、多くの作品にインスピレーションを与えてきた、西洋修道院は、あらゆる学問の殿堂でした。大図書館であり、技術革新の研究室であったのです。その麓には大修道院と関連を持って働く人々の村がありました。この建造物自体が素晴らしい芸術作品でした。


聖ベネディクトゥス(ベネデット)がローマのスビアコから引っ越して来たのは6世紀です。それから中世盛期には図のように繁栄を極め、様々な逆境に遭いながらも復活し、その後も1944年まで積み上げて来たものが、一瞬で粉微塵になりました。私は、どんな時にも戦争に反対の立場です。あらゆる状況で、戦争を回避する方法を探るべきだと思います。


写真は現在の修道院です。モンテカッシーノ大修道院がナポレオンはじめ、何度も襲撃されたり破壊されたりした理由は、勿論その影響力もありましたが、戦略的に重要な場所にあったことが挙げられます。そのため第二次世界大戦のドイツ軍の防衛戦のど真ん中になってしまったため、ここにドイツ軍が居ると思った連合軍(イギリス・アメリカなど)が写真のように大爆撃を行なったのです。戦争につきものの誤爆です。廃墟となった修道院を巡って熾烈な戦いが続きますが、これには日系アメリカ人が多数投入され戦死しました。写真のお墓に眠っています。


現在の修道院は17世紀の当時に似せて、再建されました。ローカル電車でモンテカッシーノ駅で降り、てくてくてくてくてくてく歩いて丘の上の修道院にたどり着いた時は、大変感動しました。ルネサンスと新古典様式の入り混ざった、白い建物は、大階段で回廊へ入り、さらに登って聖堂へ向かいます。空は広く、遮るものはありません。


サイズは大きくても清楚な印象を与える外観と正反対に、中は17世紀の雰囲気で、豪華そのものです。戦後の貧しい中よくぞここまで作り直したと、ヨーロッパの人々の、過去の文化に対する誇りを感じます。


フレスコなど現代の画家の手も入っていて、全壊させられたのだからしかたないとも思いますが、現代風の作風も否定されていないところがカトリックの懐の深さを感じます。


まるでラヴェンナのガッラプラチーディアのようですが、ここはクリプタ(地下聖堂)への通路です。


思ってもいなかった光景に意表を突かれます。エジプトを思わせる二次元的で装飾的な聖人や天使、文字がモザイクで表されとても綺麗です。金属の仕切りのデザインもアール・ヌーヴォー調というか、全体的に東方的な印象です。


帽子に盾は、高位聖職者を表す時の定番です。よく見ると平たい、赤いタッセルがたくさんついた帽子が見えますが、それは初期の司教たちの被り物です。三重冠は教皇の印。


イタリアの大聖堂には当然のごとくある、博物館もあります。世界一を誇った古代世界の写本など極めて貴重な宝は、ドイツ軍と連合軍の本格的な戦いが始まる直前にヴァチカンに移されていたことが、唯一の救いです。多くはヴァチカン博物館に残されましたが、ここに戻されたものもあり、聖具や芸術品に加え、大戦の時の記録となる品々(時には戦車とか)も展示されることがあります。



モンテカッシーノは、人間とは何かを様々な面から考えさせられる歴史の複雑さ、景観を伴った素晴らしい聖堂を訪ねる愉しさ、歴史書を読めば必ず出る重要な場所を知る喜び、を全て与えてくれる場所です。ロマネスクやルネサンスなど、ある特定の時代に想いを馳せるのではなく、6世紀から現代までが対象でもあります。

旅について:モンテカッシーノはイタリア半島の中央の孤立した場所にあります。ローマからもナポリからも離れた場所ですが、モリーゼのイゼルニアからそれほど離れていないので、モリーゼを旅するならば、ぜひ最初か最後にみんなを連れていけたら嬉しいです。


2018年1月11日木曜日

モリーゼ:困難を乗り越えて手にする歓び

「イタリア歴史と美術の旅2018」について:モリーゼに行ってみたいという私の希望から、今度の旅の参加希望者は悩まされていると思います。イタリアに何度か行ったことのある人でも、なかなか思いつかない場所だから。

San Giorgio, Petrella Tifernina

イタリア中旅している私の、唯一残した州なんだから当たり前です。これに付き合ってくれるという人がどのくらいいるのか分かりませんが、私の旅はいつも、少人数精鋭!の旅ですから一応提案してみようと思ってやっています。池田健二著「イタリア・ロマネスクの旅」(中公新書)に掲載されている聖堂に、ペトレッラ・ティフェルニーナが載っています。アブルッツォ地方の中に入れられていますが。その165ページに「ペトレッラ・ティフェルニーナのサン・ジョルジョはイタリアで最も訪れにくいロマネスク教会かもしれない。・・・そうであるがゆえに教会への想いはつのる。到達するのが困難であればあるほど、その前に立つ時の歓びも大きいのである。」とあります。


当然ですが、様々な捉え方や解釈があるし、感覚的な問題になれば全く違った印象を持つことも少なくありません。私はこの本に出てくるほとんどの聖堂へ行っていますが、書いてあることと違った意見を持っている箇所もあります。でもきちんとした本で、何より珍しい情報ですし、カラー写真図版で非常に親しみやすい(内容はどうかわからない)と思うので、是非書店で手に取ってみてください。

  
Pietracupa


Sant'Antonio Abate



3枚とも同じ聖堂のものです。ピエトラクーパの大修道院長聖アントニオは、孤高の隠修士のこもった洞穴聖堂が多数残るモリーゼ全体の中で、一番有名で大きく、現在も祈りに使用されている聖堂です。一番下の写真を見ると、マテーラでもそうですが、南イタリアのこの周辺には、こういった洞窟聖堂が様々な形で沢山あるのが分かります。聖堂内の写真がまた感動的です。キリスト教の儀式は時代とともに変化し、儀式のやり方に伴い、聖堂建築自体が変化しました。だから円系の聖堂は初期キリスト教時代のローマなど、数えるほどしかありません。

西洋修道制の父は聖ベネディクトですが、大修道院長聖アントニオはキリスト教修道制の創始者の一人で、砂漠で一人修行しながら、様々な欲望と戦った話は有名で、ボッシュやブリューゲルらも散々描きました。初期キリスト教世界全体で崇拝された聖人です。



いかにも修行〜って感じの洞窟聖堂がいっぱいです。


聖堂内には、ルネサンスの遠近法や自然主義を知らなかった時代の人々のフレスコがところどころ残っていて、それが可愛くていい味を出しています。当時の人々は可愛いとは思っていなかったと思うのですが。その辺は追求したいところです。