Termoli
モリーゼ州は海に面した場所が多くはありませんが、テルモリはアドリア海に面した街です。プーリアのモルフェッタで見たように、ここも島状に突き出た部分が完全に中世の街だったと分かります。航空写真をよく見てください。海に面した部分だけ、丸く囲われたようになっていて、大陸部分は碁盤の目状になっています。古代ローマの街は、東西南北に直線の大通りを通して作られますが、中世の都市作りの基本は要塞都市で、真ん中に城をおき、厚い壁で街全体を覆い、壁や道は真っ直ぐではなく、曲がりくねった路地のようになっています。貧しさからだけでなく、防衛のためです。
テルモリにもイタリアの多くの街と同じように、紀元前から人が住んでいました。ネクロポリスの跡があります。でもランゴバルドとノルマン人がやって来て、多分大陸から追われた地元民は、海へ逃げたのです。ヴェネツィアのように。
今もノルマン人が9世紀に作り始め、ヴェネツィアの攻撃に対抗して、フリードリッヒ二世が13世紀に作らせた要塞の塔が、街の端にしっかりと建ち、電気設備が投入されて使用されています。
Santa Maria della Purificazione
現在は聖母に捧げられていますが、元は聖バッソに捧げられた大聖堂は、プーリア式の私が最も好きなタイプのロマネスク様式です。9〜10世紀に建設が始まった聖堂は、地震などを乗り越え改築されながらも、それほど極端な変化は被らずに現在に至っています。
San Basso
ファサードは、ロマネスク・アーチを複雑に重ねることで、白一色の聖堂に陰影のデザインを施す仕組みが美しく、アドリア海の透き通った空気と蒼空に映えます。写真は、街の守護聖人バッソを担ぎ出し、これから宗教行列を行うところです。
聖人が町中を行列するのは、カトリックのあちこちで見られる習慣ですが、この聖人は町中を行列するだけではありません。
現代の動力付き船に乗り込んだ聖人の船を取り囲むように、何台も漁船が出、収穫量を競います。赤銅色に日焼けした男たちの争いが終わると、街の人たちが勝者を祝います。
一時的に蘇った聖人も聖堂に帰り、クリプタ(地下礼拝堂)の御遺体へ戻ります。
これはクリプタから見つかった床モザイクの一部です。5〜6世紀に最初の聖堂が建てられました。その後10世紀以降に上の聖堂が建てられ始め、その時に新たな床で覆われてしまったので、最近まで知られないで来たのです。モザイクは1000年以前のもので、様式としてはオトラントにある有名なモザイクと似ています。赤、黒、白の三色で、地中海系の正しいデッサンは全く頭に無く、謎の動物などを描く方法です。ランゴバルドなどケルトとの繋がりを感じます。
なんの写真?これは「世界一細い道」というコンテスト(?)で栄冠を手にした、異常に細い道です。rejece'lleというのですが、ここだけでは無く街のあちこちにこういう道が通っています。
あの〜、そこ通らなくてもいいんじゃないでしょうか?と言いたくなるようなものが、あっちにもこっちにもあって、恋人たちには好都合らしく、二人でくっつきまくった結婚式の写真までありました。なんと33〜34センチ幅というのだから、行く前にダイエットする明確なモチベーションになります!
旧市街への入り口
ここは海と世界一細い路地と標準時間が自慢の街。
旅:テルモリへは、モリーゼに行くなら訪問したいと思います。
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