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2018年1月14日日曜日

モンテカッシーノ:西洋修道院制度の総本山

宗教とは何か?私は常に考えてきました。最終的な答えは出ないでしょうが、不合理で不確実な現世において、人間が理想とするものの一つの解答だと思います。理想は個々人に違いはあるものの、乱暴に言ってしまえば、それは心の平安を意味します。そういう意味では、何教だって構わないという人がいますし、確かにそういう面はあると思います。ただ、八百万の神のように、植物と人間に差をつけないどころか、野球や麻雀の神様までいる日本と、アブラハムの子孫(ユダヤ、キリスト、イスラム教)との間には、やはり大きな違いがあります。年末に聖書を題材にした映画を何本も観ました。「エクソダス」(脱出という意味で、モーゼが、エジプトの奴隷状態からユダヤの民を解放する「出エジプト記」をテーマにした映画)など観ながら、モーゼでなくともなぜこんなに神は残酷なのかと問いたくなります。ゲームで驚異の世界観を打ち出した「アサシンクリード」の映画も再見。どちらも、とにかく戦うのです。戦いこそ、人間の生きる意味のようにさえ思えます。


Monte Cassino

写真はモンテカッシーノの丘に作られた戦没者のお墓です。白く見えている部分は近くから見ると次の写真のように、墓碑なのです。歴史を振り返れば、戦争が無かった時代や地域の方がむしろ珍しいほどで、第二次世界大戦以降の日本は世界史上稀に見る、平穏な時期を過ごしてきたわけですが、それを破壊しようとする人々が増えてきました。非常に悲しいことです。


お墓の奥の丘を見て下さい。頂上に建物があります。あれが西洋修道制の総本山であったモンテカッシーノ大修道院です。


1944年の写真です。モンテカッシーノは大戦の最前線となり、集中攻撃を受けた麓の町は完全に燃え尽き、大修道院もほとんど破壊されました。


これはまさに爆撃を受けている最中の写真です。戦争カメラマンのおかげで、私たちは歴史の真実を知ることができます。


1249年の大修道院の説明図です。ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」はじめ、多くの作品にインスピレーションを与えてきた、西洋修道院は、あらゆる学問の殿堂でした。大図書館であり、技術革新の研究室であったのです。その麓には大修道院と関連を持って働く人々の村がありました。この建造物自体が素晴らしい芸術作品でした。


聖ベネディクトゥス(ベネデット)がローマのスビアコから引っ越して来たのは6世紀です。それから中世盛期には図のように繁栄を極め、様々な逆境に遭いながらも復活し、その後も1944年まで積み上げて来たものが、一瞬で粉微塵になりました。私は、どんな時にも戦争に反対の立場です。あらゆる状況で、戦争を回避する方法を探るべきだと思います。


写真は現在の修道院です。モンテカッシーノ大修道院がナポレオンはじめ、何度も襲撃されたり破壊されたりした理由は、勿論その影響力もありましたが、戦略的に重要な場所にあったことが挙げられます。そのため第二次世界大戦のドイツ軍の防衛戦のど真ん中になってしまったため、ここにドイツ軍が居ると思った連合軍(イギリス・アメリカなど)が写真のように大爆撃を行なったのです。戦争につきものの誤爆です。廃墟となった修道院を巡って熾烈な戦いが続きますが、これには日系アメリカ人が多数投入され戦死しました。写真のお墓に眠っています。


現在の修道院は17世紀の当時に似せて、再建されました。ローカル電車でモンテカッシーノ駅で降り、てくてくてくてくてくてく歩いて丘の上の修道院にたどり着いた時は、大変感動しました。ルネサンスと新古典様式の入り混ざった、白い建物は、大階段で回廊へ入り、さらに登って聖堂へ向かいます。空は広く、遮るものはありません。


サイズは大きくても清楚な印象を与える外観と正反対に、中は17世紀の雰囲気で、豪華そのものです。戦後の貧しい中よくぞここまで作り直したと、ヨーロッパの人々の、過去の文化に対する誇りを感じます。


フレスコなど現代の画家の手も入っていて、全壊させられたのだからしかたないとも思いますが、現代風の作風も否定されていないところがカトリックの懐の深さを感じます。


まるでラヴェンナのガッラプラチーディアのようですが、ここはクリプタ(地下聖堂)への通路です。


思ってもいなかった光景に意表を突かれます。エジプトを思わせる二次元的で装飾的な聖人や天使、文字がモザイクで表されとても綺麗です。金属の仕切りのデザインもアール・ヌーヴォー調というか、全体的に東方的な印象です。


帽子に盾は、高位聖職者を表す時の定番です。よく見ると平たい、赤いタッセルがたくさんついた帽子が見えますが、それは初期の司教たちの被り物です。三重冠は教皇の印。


イタリアの大聖堂には当然のごとくある、博物館もあります。世界一を誇った古代世界の写本など極めて貴重な宝は、ドイツ軍と連合軍の本格的な戦いが始まる直前にヴァチカンに移されていたことが、唯一の救いです。多くはヴァチカン博物館に残されましたが、ここに戻されたものもあり、聖具や芸術品に加え、大戦の時の記録となる品々(時には戦車とか)も展示されることがあります。



モンテカッシーノは、人間とは何かを様々な面から考えさせられる歴史の複雑さ、景観を伴った素晴らしい聖堂を訪ねる愉しさ、歴史書を読めば必ず出る重要な場所を知る喜び、を全て与えてくれる場所です。ロマネスクやルネサンスなど、ある特定の時代に想いを馳せるのではなく、6世紀から現代までが対象でもあります。

旅について:モンテカッシーノはイタリア半島の中央の孤立した場所にあります。ローマからもナポリからも離れた場所ですが、モリーゼのイゼルニアからそれほど離れていないので、モリーゼを旅するならば、ぜひ最初か最後にみんなを連れていけたら嬉しいです。


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