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2018年1月10日水曜日

プーリア:大天使ミカエルは洞窟好き

中世の初期にイタリアで暴れまくったロンゴバルド人や後にヨーロッパ全土で猛威を振るったノルマン人は結構あちこちに痕跡を残している。彼らはキリスト教徒になった時に、皆が守護聖人を持っていることを知る。例えば薬や治癒の聖人である聖コスマとダミアーノの双子聖人や、ペストに対する聖セバスティアーノ、最初の殉教聖人ステーファノなどが人気があった。古代ギリシャやローマ人に野蛮人と恐れられたロンゴバルドやノルマンのような北方の人々は、戦士を自認していて戦いが大好きだったから、大天使ミカエルを気に入った。何しろ大天使ミカエルは、大天使ルチーフェロ(ルシファー、光という意味)が神様に反逆して、天国で反乱を起こした時、神側に立って戦った天使軍団の総大将。言うまでもなくルチーフェロと彼に従った天使たちは負けて、堕天使となった。ダンテによれば、彼は今でも地獄に埋まっている。なので大天使ミカエルは悪に対する正義の戦士であって、ロンゴバルド人やノルマン人は自分達に相応しいと思ったのだ。戦ってもいいんだと思ったのかもしれない。


Monte Sant'Angelo

ヨーロッパを超えトルコに至るまで、世界に大天使ミカエルが降りたと言われる聖所がある。一般にはフランスのモン・サン・ミシェルが有名だが、イタリアの方が二つもあるし、歴史もずっと古い。


これは大天使ミカエル好きには知られたことだが、歴史的に古い聖所は驚くほど一直線に並んでいる。アイルランド、イギリスをかすり、かの有名な観光地を通過し、トリーノの郊外の山上、そしてプーリアの洞窟、トルコとなっている。中でもプーリアの洞窟は、大天使ミカエル伝播の火付け役となった場所で、イタリアに上陸したノルマン兵士たちが詣でたことが文献資料に残っている。プーリアのモンテ・サンタンジェロ(大天使の山)へ詣でるために故郷からはるばるやって来て、傭兵として成功し十字軍の英雄となっていく彼らの歴史を思い出す。プーリアの聖所は今でも観光名所となっていて、廃墟のようなロマネスク聖堂が感動的な場所だ。


Santuario di San Michele Arcangelo

私が訪ねた時は夏だったので、強い日差しの映える白い独特の街並みと海が、まるで絵葉書のようだった。世界中から巡礼に来ている人々の団体がいて、聖所に入るには、夏の格好ではダメで、入り口で髪や体を覆う簡易レインコートを貸りていた。私はバチカンで懲りていたので(初めて行った時スカートが短過ぎて入れなかった!)大判のスカーフとか薄手のカーディガンを持ち歩くようにしている。ま、今ではどう考えても当時のスカートは履けないからいいんだけどさ。写真は聖所への入り口で、そこからどんどん降っていくと洞窟聖堂があり、イギリス王室の源になったノルマン人たちの祖先が、感動した場所に出る。


中は違った時代の空間が、ごっちゃになっている。右奥が最も重要な大天使像のある場所で、左は中世に作られた礼拝堂。この他にも一般には入れない空間もある。


ここは、この大天使ミカエルの聖所の周辺にできた、いわば門前町だ。中世のヨーロッパの都市の形成にはこの他に、市が立つ場所にできた街、司教や領主が意図して作った街とかもある。イタリアの場合、北方と違い、古代ギリシャやローマの街が既にあった場合が多いが、ここは違う。6世紀から巡礼が訪れていたという、完全に中世の街だ。上空から見ると、小さな同じ形の家が整然と並ぶ麓の門前町がわかる。丘の頂上に聖所がある。


頂上部分、中世の街の門が見える。この橋を渡って入ると、中世人の気持ちが少しは味わえる。バスを乗り継いで麓の街で降り、丘を登ってここまでたどり着くと周囲には何もなく、ミラノやローマでは考えられない澄み切った空気を実感できる。


丘の上の狭い場所に、中世初期から盛期にかけての聖堂が幾つかある。数世紀にわたって改造されたおかげで、いくつもの聖堂がくっついてしまっているが、建築物はロマネスクならではの単純だが力強い造形だ。一歩中へ踏み込むと、フレスコなど剥げ落ちてしまっていてもクーポラに感動する。ノルマン系のロマネスク聖堂では大抵そうだ。いびつな円が、よく落ちないで何世紀も耐えたものだと、何かけなげな印象を与える。


 Tomba di Rotari

鉄腕と言われたノルマンの英雄ロタールの墓がある、聖堂の浮き彫り。磔刑のイエスが左にひょう〜っと傾いているところが、ヴェローナの青銅扉を思い出させる。他にも、完全な形で残っていた頃をぜひ見て見たかったと、思わせる魅力的な浮き彫りがあちこちにある。


San Pietro e Santa Maria Maggiore

古代ローマに憧れたんだろうなというような、堂々としたロマネスクアーチを積み上げたバジリカの後陣だけが残っている。これだけでも嬉しくなったが、こんなすごいものが、普通の家とくっついて庶民的な音が聞こえてきたりするのも面白い。


旅について:プーリアへ行くならやっぱりプーリアだけにしたい。プーリアには素晴らしい場所がいくらでもあって、日本人には知られていないけれど素敵な場所の宝庫だから。前回はフォッジャの神父(現地で出会った!)宅へ長期滞在していて、あちこち回ったんだけれど、ここへ行った時に一泊してみたいと強く思ったのを覚えている。夕方と明け方の風景がなかなか素敵で、写真家の間では知られているのだ。ここには、冒頭の写真の場所にある、ゴージャスなホテルがあって、アドリア海が見渡せるレストランやバルコニーがある。でも巡礼者なんだから、修道院で怒られるのもいいかなーとか。みんなはどう考えるか、楽しみです。

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