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2018年8月18日土曜日

2018年9月イタリアの旅:アマルフィ

9月26日(五日目)

ポジターノは却下して、その代わり最高にロマンチックな大修道院で今日を閉めることにしました。何故ってポジターノは呆れた高級観光地で、私の愛する聖堂も特に無いし、そういう軽薄なところは嫌いだから。スタインベックの理想郷は、どうせものすごく変わってしまっていることだしさ。

via Amalfitana

5月20日にポジターノについて書いているので見て。

https://artsaba.blogspot.com/search?q=%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8E

Amalfi

サレルノからアマルフィはバスで1時間15分。アマルフィ海岸沿いの道はカーブの連続で、乗り物酔いする人は要注意だとか。イタリアの運転手は運転も派手だからね。最初の写真がそうだけど、綺麗そうじゃない?

Sant'Andrea

とにかくアマルフィに着いたら大聖堂へ向かいます。この辺はどこも断崖に家が重なるように建ってるから、階段は避けられない。大聖堂へも登ります。この聖堂の起源は9世紀なんだけど、11世紀に建て直され、その後何度も改築されて、この有名なファサードはなんと18世紀のもの。な〜んだ中世の偽物か。フィレンツェとおんなじだ。

聖堂扉

でも入り口の青銅の彫刻がある扉は千年をちょっと出た辺りの、コンスタンチノープル製で、モンレアーレ(パレルモ)やピサ(トスカーナ)など、この時代に作られた素晴らしい扉を思い出します。扉口のルネッタにある聖アンドレーアのモザイクも正統派のビザンチン様式。パレルモの二つのウルトラ巨大な聖堂(モンレアーレとパレルモ司教座)などに見られるビザンチンとアラブの融合したような、重ねアーチのデザインなども共通しています。この重ねアーチは典型的な地中海ロマネスク様式ですが、それは1276年に完成した塔でも繰り返されています。

南イタリアでよく目にする凝ったアーチと焼き物での装飾

Chiostro del Paradiso

「天国の回廊」は1266年頃の製作です。白と完全な幾何学模様に、中庭の棕櫚の葉が映える空間は、ガウディも感銘を受けたのではないかと勝手に想像したくなります。

聖堂内には博物館も併設されていますが、ナポリで山ほど観るのでここでは飛ばしても良いでしょう。階段だらけの街は世界的な観光地なのでお土産やさんはあちこちにあります。


「天然バイアグラ5ユーロ」と書かれています。なんのことはない鷹の爪です。こういう香料&薬味のお店は、日本では見ないけど、海外にはスパイスショップってよくあって、私は好きでつい見ちゃう。お決まりのリモンチェッロ(レモンのお酒)は煩いくらい売っています。

Limoncello

上記二つがアマルフィの特産物だとか。リモンチェッロは何度も飲んだことがあるけれど、すごく甘いこってりした強いお酒だから、ゴクゴク飲むものじゃなくて、夏にカンカンに冷やして呑みます。特徴のある味だから似たり寄ったりと思うかもしれないけど、実は当然ながら美味しいのと、いかにもお土産品ってのとでかなり違う。

アマルフィは大聖堂だけでなく、坂道をぶらぶらする予定。素敵なカフェがあったら休むのもいいけど、最高に素敵なのはこの後!


すごいカーブの連続の海岸沿いバスに乗る。
この日の後半はスペシャルな洞窟修道院へ、行くよ💘


2018年5月20日日曜日

ポジターノ:2泊百万円のホテル

「2018;歴史と美術の旅イタリア」の後半戦はナポリとその周辺ということで、ま、アマルフィとか連れて行ったらみんな喜ぶかな〜とか思いながら、でもポジターノも近いし都合の良い方へ2泊くらいして・・・なんて気軽に考え宿を検索してみたら、唖然・・・・。

2泊で¥1018077(一部屋)と出ました。最初、どこかで間違えたかと思ったけど、入力ミスではなく本当に2泊で百万円超!

いかに「お金をかけず、面白いところ」へ泊まるかを追求している私にとって、目を疑う数字でした😳

地中海の青と太陽を受けて輝きまくるど黄色の新しい泉。こんな醜いものいらない!

丘の上から湾全体を眺められる、広いテラスでワインとオードブル。オリーブの実なんて、この辺なら美味しいとこはどこにでもあるっ!

海が見えるレストラン内の壁面に自然木が這い、天井の木を模ったシャンデリアと呼応する。ふけちゅじゃないの〜😅

と、いろいろ文句をつけるまでもなく、鼻から宿泊は無理なのでした。

ここもアメリカ映画やドラマに出てくる最高にロマンチックな街。なぜそうなったかっていうと、1953年に「ハーパーズバザー」にスタイン・ベックが寄稿したのがきっかけ。

そこは夢の場所。
実際に行ってみなければ
存在することさえ信じられないような。
そこを離れた時初めて
現実味を持って
郷愁が迫ってくる。
急勾配の斜面にへばりつく家々
その間を縫うように続く階段以外
まるきり崖なのだ。
目を疑うほど美しい青く緑がかった海が広がる
小さな入江・・

勝ってにイタリア語も交えて訳してみました。きちんと知りたい方はオリジナルを読んでください。当時のスタインベックは「怒りの葡萄」「エデンの東」などで成功した大注目作家でした。彼は、本当は紹介したくないとか言ってますが、その発言は今も影響力を持っています。


さらに50年代はアメリカの成功者たちが続々とヨーロッパへ観光しに押し寄せていたこともあり、それまで本当に美しかった田舎のアマルフィ海岸はすっかり、観光地化されてしまいました。な訳で、格差社会を気にもかけない冷酷なセレブリティ御用達の、有名ホテルがあるのでした。

あー、びっくりした。絶対泊まらないけど(泊まれないだけじゃなく、お金があっても泊まるもんかと思う私であってほしい😇)、時間が許せばアマルフィの宿から1時間超でいけるので寄ってみるかも。でした。
追伸:ちなみにもちろんこれより経済的な部屋もあります。


2018年8月16日木曜日

2018年9月イタリアの旅:世界最高峰の考古学博物館とルッカの十字架

9月24日(三日目)

移動の日。この旅では2回しか移動しませんし、前後がナポリなんだけど、間に二日サレルノへ泊まります。

Croce di Lucca

アマルフィやポジターノに泊まろうかと思った私が甘過ぎでした。アマルフィにはそれなりに宿の数あはるけれど、カップル用、家族用でダブルベッドだらけ。どこでもそうなんだけど、人数分のベッドを探すと言うのが最大のネックになってアマルフィは却下。ポジターノは、私のような貧乏人は見たら目が潰れちゃうくらいの金額で却下💰

ティレニア海沿岸地図

サレルノにするか、海に面したバルコニー付きのロマンチックな宿にするかすごく悩んだ末、サレルノに決定。ロマンチックな宿は辺鄙な場所には見つけたけど、行くのに時間がかかる。それに反してサレルノならナポリから40分(急行なら30分)で、その上しょっちゅう電車があるので凄く気が楽です。マイオーリの海に張り出した宿を考えたけど、そこへ行くには一日二本しか選択肢が無かったから。と言うことでサレルノでは超駅前のめっちゃくちゃ便利なホテルに二泊。シンプルだけど広いし、仕事が確実と評判です。と言うわけでサレルノへは夜到着しても心配なし。1日の最後に移動します。

月曜日なので閉まっていないところで最重要なのが、世界最高峰の考古学博物館です。

Museo Archeologico Nazionale di Napoli

私は正直言って、ナポリは詳しくありませんし、考古学は門外漢なので、ここへも2回しか行ったことがありません。しかも一回は風邪をひいて具合が悪いのに無理して頑張って見たので、今回は万全の体制で臨みたいです!

この超広大な建造物は16世紀に馬の調教用に建てられました。全く信じ難いことです。17世紀には大学として改築され、1777年にナポリ大学が旧イエズス会修道院へ移動すると、ブルボン家など王家の収蔵品を展示する場(大図書館もある)となり、1860年いよいよイタリアが生まれた時、国の所有となりました。

怖可愛いワニのモザイク

世界史の教科書に必ず登場するアレキサンダー大王のモザイクはここにあります。

紀元前333年のイッソスの戦いで、遂にアレクサンダーは王の中の王と言われたダレイオス3世自らが率いるペルシャ軍10万と激突。圧倒的少数だったにも関わらず、アレクサンダーは縦横無尽に多数の軍隊を指揮し、ダレイオスの母、妻、娘を捕虜にする。彼のカリスマ性が轟いた瞬間だった。ポンペイ出土。

西洋美術館にあるローマ風景にも描かれている、かの有名な(ルネサンス期には史上最高の作品と評価され、複製や様々なヴァリエーションで表現された古代彫刻)ファルネーゼのヘラクレスもここにあります。

私のお気に入りは、黒い青銅の走る人や動物たちの像のある部屋

紀元前5世紀頃の最高にカッコいい神はゼウスかポセイドンか?

18世紀にポンペイやエルコラーノなどの遺跡からどんどん発見された、ポルノな日用品は学者たちをドギマギさせ、大混乱を引き起こしましたが、現在は「秘密の部屋」に収納されています。目を疑うような大胆な造形のものが目白押しです。

山ほど出土した男根

楽しげな巨根の焼き物たち

ポンペイから出土したものはほとんどここにある。突然の噴火で埋まってしまった人々の姿が生々しい。街の再現模型。

カメオ技法で製作された古代ローマのガラスの壺

とにかく絶対見切れない量の芸術品や日用品が、様々な技法で堪能できる、間違いなく世界最高峰の博物館です。

この博物館は(も、と言うべきか)巨大で疲れるので、午前中一杯見学。

宿の方向へ向かいながら、お昼にしましょう。

Pasta e fagioli

南イタリアの海岸地域は、言うまでもなく海の幸が断然お勧めです。私が食べたいのは伝統料理の豆のパスタ(ムール貝そえだとさらに良い)です。でも博物館の前に新しくできたヴィーガンのピッツェリーア Vitto Pitagorico があるから、お腹が空いてみんながイライラしてたらそこでも良いけど、やっぱり伝統ナポリ料理の店もたくさんあるから辛抱するか。

博物館を出るとまず目の前に聖子羊聖堂があり、コンスタンティノープルの聖母聖堂が見えます。この道を歩きます。美術アカデミーと二つの聖堂を通過。

San Pietro a Majella

今では中庭にベートーベンがいるクラシック音楽のコンサートを主にする聖ペテロ聖堂を左に曲がります。すると大きな広場に出ます。駐車場になって雑然としていますが、実は中世らしさを留めた地域で、誰〜も行かないと思うけど、私の愛するルッカのヴォルト・サントに捧げられた聖堂があります。何が何でも行きます。

Volto Santo di Lucca a Napoli

Croce di Lucca

Croce di Lucca

1688年建立。ルッカのヴォルト・サント(聖十字架)に捧げられた聖堂でしたが、20世紀に病院の一部とするため、最も芸術的だった部分が壊されました。仕方のないこととはいえ残念です。同時に聖堂ではなくなり閉じられていましたが、つい最近開かれました。すぐ上は夢のような本屋、として解放された時の写真です。中には、まだ往時を偲ばせる、外からは知る由もない素晴らしい祭壇やフレスコが残っています。私たちが行った時に空いているかどうか調べきれませんでしたが、兎に角行きます。入れたら私は感動で、話しかけられても聞こえなくなるかもしれないので、一緒に行くみんなは知っておいて。

時間をかけてナポリ料理を味わった後に、街を歩きながら地味な聖堂を見つつ宿にたどり着いたら、カバンをとっていざサレルノへ。

サレルノは世界初の医学校の地。当然医学の歴史博物館があります。怖い部分もあるけれど、人間の知識と学問の発展、逆に言えば不合理な迷信が、いかに一般的であり、人間は感情でものを考えるかと言うことが分かります。


医学校や病院がどのようなものだったかを示す様々な資料。

ヴァーチャル博物館、サレルノの医学学校と言う名前

http://www.museovirtualescuolamedicasalernitana.beniculturali.it/it/
博物館のUチューブです。その名の通り、ヴァーチャルに再現していて面白いので見てみて。司教座聖堂博物館もある。


ま、サレルノへは何時に着くか分からないから、みんなの様子を見て決めます。

2018年8月24日金曜日

2018年9月イタリアの旅:提案2;古代の夢と島

9月27〜28日(六、七日目)

残り二日のナポリをどう過ごすか、【提案2】はお天気が悪かったら却下、だって外を歩く内容だから。

Palazzo degli Spiriti

ナポリの周辺には素晴らしい島がいくつもあり、古代から理想の休暇場所と考えられてきました。古代ローマの有名人たちの別荘などがあったのが分かっています。

Nisida

ニシダ(どうしても西田と変換)島では紀元前44年にブルータスがカエサルの暗殺を練りました。ブルータスの自慢の別荘があった場所です。そんな素晴らしい島は現在少年刑務所で、一般には行くことができません。刑務所にも色々あるな〜。カプリ島にはティベルティウスやアウグストゥス等皇帝の別荘がありました。今は壮絶な休暇用観光地です。ガイオーラ島にも古代ローマ帝政期にいくつもの別荘がありました。

Gaiola

で私が考えているのは、カプリなどナポリからポジターノ、アマルフィ方面ではなく、反対にポジッリポの向こう側です。

Procida

プロチダ島です。ディズニーランドでしょうか?いや本物です。新しく作ったわけではありません。奥にはもっと大きくて有名なイスキア島もあります。イタリア旅行でカラフルな家って言うと、チンクエテッレを思い出す人が多いのはなぜでしょう?旅行代理店の仕業に違いありません。だってイタリアには、あっちこっちにカラフルなお家の群れ風景があるのだから。

Ischia

イスキア島は紀元前8世紀には温泉がある保養地としてギリシャ人に愛されていました。そして向かいの本土にはクマエが建設されます。クマエと聞いただけで、西洋文化を勉強していたら憧れるのではないでしょうか。クマエには古代アポロン神殿があり、そこにはアポロンの神託を使える巫女たちが住んでいました。シビラと言います。あの女性が苦手なミケランジェロが描いた最も魅力的な女性たちは、システィーナ礼拝堂のシビラだと思います。

Santa Maria Soccorso

イスキアはその後も発展し、写真のように島全体が中世には要塞化されます。「お助けの聖母マリア」聖堂は島の崖っぷちにあり、船乗りたちのエクスヴォート(奉納物)で知られています。ここでは、夕日が沈む時緑の光線を拝める、とかアーサー王の妹のモルガン姫の蜃気楼が現れるとか、伝えられてきました。そんな伝説が似合うような場所です。

Cuma

先に書いたようにクマエは紀元前8世紀にイスキア島のギリシャ人によって建設されました。今は完全な考古学地区で、街は離れたところにあります。つい最近付近の海から壮大な屋敷跡が発見されて話題になりました。

何千年も海底に居た彫像たち。床モザイクや柱の跡などもはっきり分かる

シビラの宣託を聞いに行くための凝灰石の洞窟トンネル

以前からこのトンネルが通って見たかった!このトンネルを通過する者はどんな気持ちだったのか、国の運命を左右するような一大事に、引き締まった思いだったことでしょう。トンネルを抜けると古代ローマの地下神殿、ゼウス神殿、アポロ神殿の遺跡があります。ちなみにアポロンから予言能力と千年の命をもらったシビラですが、アンチエイジングのお願いを忘れたため超お婆さんになって死んだそうです😢え〜ん。そんな長生きしたくないよー。

Gaiola

丸一日、外をあちこち歩きながら最高のナポリ湾を堪能するのですが、問題はそれぞれが結構離れているし、島だから時間がかかるので全部はとても行けないと言うこと。選ばないとね。難しい選択ですが・・ビーチ派ならガイオーラ島でしょう。特に何も無いけど小さな島二つが渡れて、潜ったりできます。最初の方の写真がそうです。


ナポリからプロチダやイスキアなどへ向かう船はあるけど、ナポリからクーマまで地下鉄で50分乗って、そこからぶらぶら歩いて考古学散歩し、お昼を食べてタクシーで港まで行き、4時間に一本プロチダ行き船があって15分で着く。どうかな?考えて見て

Posillipo

ポジッリポを眺めながらナポリへ帰るかな